政治と個人

イギリスのブラウン首相が遊説先での議論相手と別れた直後、車の中で「頑迷な女め」とかなんとか言ったらしくて、それが外し忘れたマイクから収録、何度も放送され、6日の総選挙前に大失点、そのせいかどうかわからないが、その後に調べられた党首の(?)支持率は、主要3政党のほかのふたりに離され最下位の26%、首位は保守党のキャメロン38%、自由民主党のクレッグ32%となったらしい。それは大きくは関係がなかったかもしれないが、BBCでは何度も放送されたらしい。私も見た。たぶんNHKで、というのはどうでもいいか。
そんなことは検証されないかもしれないが、ある程度は関係してしまうとすれば、本筋とは離れたことでいろいろと左右されるわけで、なんともはや。
なにか、歴史とか政治とか、そんなものかもしれないということを考えてしまった。
あるいは、そんなものになりさがってしまっているのか。なぜか。
ほかにイギリスの総選挙関連では、いままでブラウン、キャメロンほどの知名度がなかったクレッグ氏が支持を伸ばしつつ資金問題やEUに関する疑惑などで攻撃されているが、人気は落ちていないということも話題。別の調査では首位となっていたらしい。4つの世論調査で2つがキャメロン、2つがクレッグが首位、4調査の支持率の幅は、キャメロン37〜29、クレッグ36〜32、ブラウン30〜27%ということで、現政権が出遅れた3つ巴のようだ。
しかしまた議席がどうなるかは少し別の話で、第3党を長く続けた・・・たしか100年間ちかくもそうだったという自由民主党が躍進しているということで、その動向も注目されている。支持層が重なることも考えると保守党もうかうかしていられないということかもしれない。
労働党は左派でいいのか、保守党も右派でいいのか、わからない。自由民主党中道左派らしい。労働党も左派色を薄めたことだろうし、保守党も中道化しているという。
これらは、いま適当にネットで仕入れた知識。
日本の民主、自民、その他政党も自らの未来を若干重ねて推移を見守っているのか、あるいは関係があまりないのか。


日本の話については、今のネット世論からすると、愚かだということになるのかもしれないが、民主党をとりあえず支持したい。むしろ世論への反発がそういう態度を鮮明にさせているかもしれない。
不思議な感じだけれど、面白い鳩山氏、さほど非現実的だとは思わないが、党全体としては政策が鮮明な感じはしない。あるいは、しなくなったかもしれないが。非常な実力を示しつづけている小沢氏。彼にも「チルドレン」がいるようなものらしくて(そう私が勝手に思っているだけかもしれないが)、そのことは衆院を解散しない限り無視できないような気もする。
逆に「反小沢七奉行」といわれる人たちもそれぞれ立ち回っているようで、それなりに中枢に入り、存在感を示そうとしているようだ。特に仙石氏、衆参同時選の可能性を語るなんて、片言をとらえられたと言っているものの、本心はどんなものか、彼らの離脱や、自民党離党組との連携なんて事も考えられるような気もしないでもない。
自民党が政権からはなれ、求心力を失ってある程度分裂したようだけれど、民主党の校正議員連も本音はどうなのかわからない。
今仙石氏のことをちょっと調べていたら、(自民党の)加藤紘一氏が中心の「ラーの会」(梅原猛氏の命名らしい)なる会(?)があって、ほかに山崎拓氏、前原氏、仙石氏、そしてなんと社民党の辻本氏が参加しているという、前原辻本ラインがあったのだね。国交省ではコンビを組んでおられる。いやあ、なんかいろいろあるなあ。


小泉純一郎氏が、「権力闘争」という言葉を何かの際に持ち出したことに私は違和感を感じたが、私が違和感を感じたのがなぜか、が、なんだかわからなくなってしまった。彼は昨年衆院選を期とした引退の際に、「今の権力闘争は甘っちょろい」なんて、自民党内の混乱に即して話したらしい。が、角福戦争とかではなく、鎌倉幕府なんかを引き合いに出したらしいが、真意はわからない。
違和感の一つは、自明のことであっても表だって語ろうとされていなかったためだったろうと思うが、それだけではすっきりしない。こんな言葉が影響力の高い人から話され、どういうかたちで聞いた人たちの心に受容されたのか。
なんにしても、生き残らなければならないというある種不可避なことから目を背けるな、というと、間違ってはいないかもしれない。そうすると、私ほど甘っちょろいことはないのであって、狼は生きろ、豚は死ね、というときには私が豚であることは間違いのないところなのかもしれない。そういう現実はひしひしと感じているが、私はちょっと手遅れかもしれないと思う。
権力闘争というものは、政治の実質と結果的に関わるということで、結局は政策がその道具として扱われる可能性と関係している。
選挙の局面では、そういうわけには行かないとも言えるが、昨今はよくわからない。権力闘争の場がどこかというと、政策が表題として上がっているにしてもマスコミの挙動(マスコミにうつる政治家の挙動ではない)が何か大きく関係あるように思える。他を甘っちょろいと言った小泉氏の弁舌が国民を動かしたことはマスコミの挙動に変容をもたらしてはいないのか。何か自分たちが政治の動きに関与できるかのような意識がうっすらと、あるいは無意識に、しかしやはり政策に関する理解を国民にもたらす方向ではなく、何か水物である情報の流れを読み、勝ち馬に乗ることで、マスコミ界の権力闘争に生き残れるかどうかがより大きく何かを左右しているという連想をするが、そんなことをいまさら考えついたように思っている私がやはり、甘っちょろいには違いないのかもしれない。


わたしたちひとりひとりの生の意味は、こういうことに左右されているのか、そうされていいものか、などとぼやいていないで自分の生を自分の手につかむためにたたかえよ、という話なのだろうが、でも、疲れたのだ。