変な音楽日記100806

暑かった。今も暑い。


家ではラジオを聴かないが、FMの受信状況があまり良くないからだ。聴きたいと思わないわけではないが、環境に左右されやすいのだなあ、思えば、私は。自分のなりたいようになるためには、環境を変えなくてはならないのだろうが、それもできない。
というのはともかく、ラジオは車で聴く。通勤時間が往復2時間にもなる今、聴いていたのはだいたい民放だったが、最近はNHKも聴くようになってきた。クラシックはノイズに弱いので車の中には向いていないのだけれど、普通のポップスより面白い曲がかかることもある。


昨日はジェルヴェーズの曲をプーランクが編曲したものを、ほんの少しだけ聴いたりした。聴いた部分はマンドリンのアンサンブルでも弾いたことのある曲だったが、単純なくりかえしが単調だと思っていたものが、驚くほどきらめく時間を生み出していて・・・ちょっといやらしい表現だがほかに思いつかない・・・しかしそれは編曲だけのためだったとも思えず、この単純な音楽の魅力はいったいなんなのか、ちょっとした疑問を残した。
聴く体験と弾く体験とはくらべられないが、古楽のなかでも他に弾いたことのあるバード、ダウランドパーセルなどというほかの人たちの曲と比べてちょっと面白味に欠けるとすら思っていた印象が逆転した。この3人はイギリスの人たちで、ジェルヴェーズもプーランクもフランスかな、ちなみに編曲と書いたが、プーランク作曲「ジェルヴェーズの作品によるフランス組曲」というのが正しいのかも知れない。つまりは20世紀新古典主義の作品かも知れない。レスピーギの「古風な舞曲とアリア」やストラヴィンスキーの「プルチネッラ」なんかを思い出した。


今日はバッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」を聴いた。きらめく音、至福の時間、生きてて良かった、と、思わなくもないのだが、こんな曲を聴いて血液がきれいになるような気持ちがして一時的に幸せになっても、またすぐ憂鬱な物思いに沈むのは、年をとって感覚のしなやかさを失ったのか、などと思ったが、ちょっと、憂鬱な物思いというのは書きすぎだ。
それにしても、バッハが好きなのに、この曲はずうっと忘れていたというのは、いったいどうしてなのか、というと、買ったはずのポケットスコアがどこかに行ってしまったのが原因だろうと思う。残念だ。


昨日はプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」も聴いたのだけれど、冒頭を除くと、思ったより面白くなかった。好きだったんだがなあ。あとは、クライマックスも好きだったと思うのだけれど、そこまで行く前に会社に着いてしまったのも残念だった。現段階ではラフマニノフの方が聴きたいかなあ、なんて思った。


下のディスクはラジオで聴いたものとは違います。

フランス組曲~クロード・ジェルヴェーズによる~プーランク作品集vol.3~

フランス組曲~クロード・ジェルヴェーズによる~プーランク作品集vol.3~

バッハ/ブランデンブルク協奏曲<全曲>

バッハ/ブランデンブルク協奏曲<全曲>

プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲

プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲