ダメな僕 3

どうも記憶力が悪くていけない。
自分が陥った状況がなんなのか、何か分析できたような気になっても、その数時間後にこうしてモニタに向かっているときには忘れてしまっている。


私のコミュニケーション能力が低いということは、衆目の一致しているところ、などとは書いてみたものの、そもそも衆目が集まったりはしない私に対して一致するのは衆目ではない、などということを書くことにほぼ意味はない、というのはいいとして、果たしてコミュニケーション能力が高い人というのはいったいどこにいるのか、私はわからない。
あるいは、日本人というものがそもそもコミュニケーションをとらないのか、ということをどういう意味で書いているのか、うまく説明は出来ないが、つまりは主体というものが希薄なんじゃないか、主体が考えるというよりは、言葉が主体のまわりにくっついていて、言葉の内容と主体とはあまり関係がなく、などという妙に極端な自己モデルを想像したものの、どれだけ当を得ているかわからない。


というか、言葉はもはやあまり意味がない、という言葉もあまり実態がない、たとえば生活、業務、などの現実に密着した事実の指示はさすがに的外れであることはありえないようでいて、少しでも抽象化した途端にその現実から何か急速に遊離して結局は実務的な問題を現実から遊離した言葉が左右することになってしまう、ということが、もはやあたりまえであり、そういう皮相な言葉はそれとしてやりすごしつつより実効性を持った抽象化のレベル、レイヤーを別に保持するような思考、言葉の形式を、イメージしてみるが、残念ながら私の灰色の脳細胞はそこまで処理能力が追いつかないようで、ある。


なにを書いてるのか。