ダメな僕 4

ダメと言えばまったくそのとおりで、私はもう精神的に破産してしまったという感じだ。
しかしまあ、破産してもかえってのびのび生きているひともいるこのご時世、とはいえ、そんなことを潔しとしないために命を絶ってしまう人も多いわけで、一時消費者金融にグレーゾーンというものがあったけれど、というような連想がばかばかしくなってしまうようなどうでも解釈できるグレーゾーンがおちぶれた人には待っている。
そういうお金の話では、私はとりあえず破産したことはなく、そうなってもおかしくはなかったものの、そうしないで切り抜けたと、かなり苦しいが言えなくもない。しかしその時に精神的に破産することは免れなかったのかも知れず、表現に関してなにかしら前向きに立ち向かう権利など私にはない、というようなプレッシャーがある。
じゃあ、後ろ向きに?


破産してもかえってのびのび生きている・・・という話を思い起こすことは出来るのだけれど、同時に死に至る人のことも思い浮かび、その双方に対して理解を示すしかないと、私が思っていることが問題なのだろうとも、ふと思う。
メーターの針は極端から極端に振れるのであり、とすれば、その極端に触れることそのものを対象化して生き延びるということになるしかないのではあるが、こんな文章がややこしいことからも推察できるとおり、そんなに簡単でもない。ある種幽体離脱のようなことになるわけで、私はいないようなものになる。
そうすると、簡単に考えろ、と、うるさい人たちが出てくるわけで、いまはもうそんな人たちほど鬱陶しいものはなく、とりあえず彼らの前に見せる顔はなく、そうすれば、お前には顔がないぞ、あるいはお前みたいな顔をしている奴は見たことがないといってうるさく絡んできたりするのだ。しかしさらに問題なのは私がそれを予期して身構えていることかもしれず、そうして身構えていてさえその攻撃は隙を突いてやって来る、その事の驚き。


そもそもがこのように行き詰まる人間に対しては、その人自身に原因がある、と、考えがちだ。
私もそれと似た印象を誰かに対して持った経験は数知れず、そして、それがまわりまわって自らを攻撃してきた、という感じがする。
それは全くその通り。私は自らを責めなければならない。
が、疲れた。


と、精神的に破産したからといって自殺できるわけでも、借金が帳消しになったように精神的な負い目が消えるわけでもなく、ただ、続きを生きていかざるを得ない、などと書いていることがそもそも何かどこかで読んだような感じがしてくるが。
誰かが借金をご破算にするということが本当は脳天気に片付く事ではなく、大きなスケールで奇妙な話題にしかなっていないような形で、しかし実のところは得体の知れない妖怪が次々出現するような形で、けっこう身近な人たちに襲いかかっていたり、うまく難を逃れたり、そんなこととは関わりがなくて済んだりしている、その関わりにはスポットライトが当たっていない部分もあるが、これらはいったい何だ。
いろいろなことが解釈のしようでどうにでもとらえられるようにも思える中で、精神的な行き詰まりが少し片付いたりまた増えたり、そんな感じで続く。


思考がループ状になってしまったが、何か少し片付いたかどうか。