モーツァルト 1

寝る前だけのことだが、なぜかモーツァルトばかり聴いている。


そもそも、あまり音楽を聴きたくなくなっている。ラジオで、つまり誰かが選んでかけた音楽ならいいのだけれど、自分で音楽を選んで聴くと、失望する。それはもう何年も前からだが、今年は一時期よく音楽を聴いていた。楽しむというよりは、学習的な意図だ。学習というよりは、科学・・・じゃなくて、研究・・・。誰かがかけたラジオの音楽も、ある種研究的な聴き方をするのだけれど、自分で選ぶよりは気が楽、だ。
気が楽・・・って、まあ、ある種、鬱のような何かなのだろう。仮面鬱ということがあるが、でも、本当に生命が深刻というところまでははるかに行っていないだろう。とはいえ、私は以前の私ではないだろう。とはいえ、もっと深刻なのはコレステロールとか血糖値とかのほうだろう。しかし、何か、心のようなものが無くなっている感じがする。


たくさんのCD、そんなものをせっせと買い込んだことを後悔するまでには到らないが、聴きたいものはない。いや、ラジオでかかるとうれしい曲も、自分のCDから聴くのはいやかもしれない。バッハの狩りのカンタータとかならいいかな。
でも、そういうものに限って貸したまま返ってきていなかったりするのじゃないか。私も返していないレコードが・・・夏にその本人に会ったときには忘れたままだった。返すことはあるだろうか。ひとりは東京・・・。
なんとか聴けたのはスティービー・ワンダーに、ドビュッシーバルトーク・・・でもしばらく前に聞いたときは、スティービー・ワンダーもダメだった。
自分の聴きたい音楽が自分でわからない。ミルトン・ナシメントなら聴きたいかな。でも、そう思って聴いて、なんかあまりしっくりこなかったりすると、ショックだ。ラジオでかかるといいのだけれど・・・。


それが、なぜモーツァルトならいいのか、研究だからだ。そういえば、ベートーヴェンも大丈夫になってきている。交響曲第7、8番とか。古典派と、ロマン派はシューマンブラームスを除いてあまり好きではなかった。その、好きではなかったものなら聴ける。ハイドンとかもね。
しかし聴いているのは、モーツァルトの、後期の弦楽四重奏曲ハイドン・セットの6曲、「ホフマイスター」、プロシャ王セットの3曲の10曲、全40楽章、CD4枚組。アルバン・ベルク・カルテットのそこそこ古い録音のもの、そこそこ安かったと思う。
これは、ほとんどCDを買わなくなる前、最後くらいに買ったもの。この後、お金が無くてCDなどは買えなくなった。すでに中古盤ばかり買わなくなっている頃に、なぜかドンと買ったこのセット、といっても安かったはずだが。
アンサンブルの練習として弦楽四重奏曲を演奏しようと思っていて、思いついたのが「春」ハイドン・セット第1番の第4楽章。と、思ったけれどCDが先だったのか。これを聴いたときは衝撃的だった、というのは交響曲第41番「ジュピター」のやはり終楽章に、冒頭部分がそっくりなのだった。「ジュピター」の終楽章は、特に好きな曲。古典派は嫌いだけれど、これだけは・・・という感じで、聴きながら目を閉じて重力が軽くなったような(お酒も飲んでぐでんぐでんになっていたけれど)学生時代の思い出もある。


いや、すごいよ、モーツァルト。すごいのはそれだけではない。
ほかの数々の曲も、モーツァルト弦楽四重奏曲なんて聴いたことがなかった新鮮さと、思いの外多彩だということ。それは、私が違いがわかるようになったということもあるかもしれない。
何か現代音楽のように聞こえる冒頭部分を持つ曲。
長調、なんていっても、対比部分や展開部分で調が変わるその性格の激しさ(疾風怒濤?)と、その何か精密機械のような・・・激しい変化をなんとか破綻なく、しかしそれが綱渡りのようにくりひろげられているようでもあること、というか、カタストロフが聞き取れると言ってもいいのかな。まるで、人生なのか。


と、書いたところで眠くなった。つづきを書くとも思えないが、いちおう「1」として一旦終わり。


これは私の持っているのとはちがうけれど・・・。

モーツァルト : 弦楽四重奏曲第14番 ?第19番 (ハイドン四重奏曲全曲)

モーツァルト : 弦楽四重奏曲第14番 ?第19番 (ハイドン四重奏曲全曲)