文章について 1

いきなりだけれど、関連エントリ。
http://d.hatena.ne.jp/azkn/20091127/1259248576
と、リンクを張ってみたものの、自分で読むことが出来ない。なんだこの文章。
とはいえ、文章についてずっと気になっていたことを、思いの外うまく書き留めている。我ながら。
どっちだ、悪いのかいいのか。
書き留めてはいるが、それがよくわからないものをわからないまま書き留めているということになるのだろうか。


ということとは関係なく、いったい私はなぜこんなブログをやっているのか。
最近は、書きたいことがあっても私が書いていることを関係者に知られてしまっていいのか、というよりは書きたいことについて読みたい人が見に来て私を特定してさかのぼって私の狂った文章を読んだらどう思うかと考えて書きたいことを書けない、なんて思うことがある。
今これを見に来ている知人の方は、狂った文章をたくさん読んでいるのに、まだ読もうというのか、と、そんな優しい人にはすぐ会いに行きたいくらいだ、というウソを書いてしまったが、それはウソではありつつも、かつての私ならそれに近い気持ちはあったなあ、今は麻痺してしまっているのか、と、しかし麻痺しているので、そんな気持ちを再現できないが・・・。


ああ、もう狂っていないのになあ、などとも思う。しかし、そう思いつつ最も狂っていた時期の文章が最も優れている気もしないでもない。それは、ほぼ3年前。え、まだ3年前? もっと時間が経っていたと思っていたが。
狂っていた、なんて穏やかではないが、さらにその狂い方が変化したので最も狂っていた時期は特定しにくいが、あるいは現在がいちばん狂っているだろうというように客観的見地から判断されるひとがいるかもしれないが、つまりは主観的に、他人から観察できない実感として最も辛かった時期が3年前で、その頃まだ出来事とその精神状態がなんとかリンクしていて、つまり辛いことに次々耐えられなくなって、辛くないはずのことさえ辛くなっていった頃で、消えてしまいたいような(そんな言葉で表現できるような感じではなかった・・・消えるしかない、と思っていただろうか)、未来は全くない暗黒のビジョンを見る感じでたしか快晴の夜の寒空の下を歩いた覚えがある。
その数日後に書いたのが
http://d.hatena.ne.jp/azkn/20080101/1200576457
で、なかなかいい文章ではないかと思ったが、実際はどうかわからない。
その頃は鬱の極点に達していた気もする。
その数日後の
http://d.hatena.ne.jp/azkn/20080111/1286799856
は面白いようだが破綻をまとめる意志がなくなってきているのか。
その後は少し鬱症状は恢復したものの、自分が鬱だということを周囲に悟られまいとしつつ、何か感情を制御できなかった。さらに新たな問題がどんどんと深刻になっていき、
http://d.hatena.ne.jp/azkn/20081227/1230307864
なんてものもあるが、その頃から半年間あまり、かなり恐ろしい日々が続いた。その後10ヶ月ほど失業手当をもらったりなくなったりしながらぶらぶらしていたことを恥じていたが、もちろん恥じていいものではあるが、同時にしょうがなかったと思う。それくらい休んで良かったのではないかと。
しかし、この頃の文章は今よりも的確なような気がするが、それはどういうことなのだろう。狂った世界なのだから、狂っている状態の方が正確に世界を反映する、と、思ったがもちろん単なる浅はかな思いつきを書いたに過ぎない。


と、振り返っている間に、当初何を書きたかったのかを忘れてしまって、タイトルのあとに1という数字を入れたことで困る気がしないでもない。