フォーレ 1

と、いっても、「ドリー」組曲なんかを聴いている。最近のお気に入りは「Mi-a-ou」だったりしたのだけれど、「Le Pas Espagnole」なんかもいいなあ。でも、このYouTubeの演奏は、今ひとつだなあ。ここのテンポだけでも遅くならないでくれたらよかったのに。
音楽を聴くことも、モーツァルトと、あとは車のラジオ以外では久しぶり。
湯山昭さんという作曲家の方がいらっしゃるということはぼんやり知っていて、ヤマハのビラに書かれているのでどんな曲を書くのかなとYouTubeで聞いてみて、悪くないとは思いつつも、フォーレが聞きたくなった。


「ドリー」にはアマチュアっぽい演奏が多いかな。いくつかたどって、プロっぽい演奏が出てきた。「Mi-a-ou」、素人っぽい人が弾いたものよりもわかりやすい。なんだ、この差は。衝撃的な・・・。素人っぽい人が演奏しているのを聞くと難しい曲のように感じられたのが・・・もっと簡単に感じた。どう考えても遙かにプロの演奏の方が技術は優れている。
最近は、いつか「Mi-a-ou」を演奏してみたいと思っていた。「Le Pas Espagnole」もいいなあ。あ、上と同じ事を書いている。
しかし、技術的に難しいことをできても聴くとちょっと厳しいという場面に接してしまうと、自分の演奏の場合には技術的に難しいことも出来ず、表現を磨くことも出来るはずもなく、楽器などやめた方がいいのではないかと、思う、が、そんなことを感じたことで逆にアマチュアで、下手くそでもやろうとすることの何か貴重な輝きみたいなことを考えてしまう。
勘違いか。そういう人はいるだろうけれど、私などはお呼びではないだろう。裏方に? 最初はそのつもりだったのに表に引っ張り出されたのが運の尽きだったかもも知れない。音楽をやる動機のコアな部分がふらついてしまって、自分が何をやってきたか、何をやりたいのか自分でわからない。


それにしても、幸せな音楽。この面白さはなんだろう。他には、アルベニスを思い出すが、さて。


あとは、硬直的なリズムでいつも音楽をやっているのではないか、自分らは、と思わせる闊達な演奏に触れることが出来た。それはもちろん不自然ではなく、変化してこそ息が吹き込まれるというようなことで、少しでも私は、私たちはこんな変化を出来るのかということ。私たち? 私がそんなことを書いたら憤慨する人がいるか。お前など一人でひきこもっていろ、という声が聞こえてきてしまうが。


「Le jardin de Dolly」もいいなあ。「Mi-a-ou」、「Le jardin de Dolly」に「Le Pas Espagnole」で締めくくるというのはどうだろう。6曲は長いし。やっぱり最初に「Berceuse」は要るかなあ。4曲になってしまう。


ああ、なんか時間が早く過ぎていく。今日は早く眠るつもりだったのに。

ドリー?フランス近代ピアノ・デュオ作品集1

ドリー?フランス近代ピアノ・デュオ作品集1