私のお気に入り

最初は、音楽の孤独な時間、というタイトルで書こうと思ったがやめた。そんなタイトルで書こうと考えていたものの孤独かどうかはわからない。


今日は知人と同道したり食事することになってその中で話題になったフォーレの「夢のあとに」を家に帰ってから弾いてみた後にこんなタイトルを思いついたのだが、その前にはサン=サーンスの「白鳥」を弾いたり、何曲かのポピュラーの曲を弾いたり、チェロ用の楽譜を引っ張り出してなぞってみた。
その前にはチャイコフスキーの「悲愴」交響曲の有名なフレーズをオーケストラのスコアから探し、4楽章だと思ったのが1楽章だとわかったりしたのだった。などと書きながらヴァイオリン協奏曲の、あの有名なフレーズがうかんだのだけれど、これはギドン・クレーメルとロッケンハウスの仲間たちのコンサートのライブ録音をラジオで録音して何度も聴いたなかにあった「タンゴ・パセティック」の中に両方とも出てきたのだ。
その前にはテレビで「サウンド・オブ・ミュージック」を特集した音楽うんちく番組のようなものを見た。「すべての山に登れ」が好きで、それが聴けないかと思った。映画のその場面を見ることが出来て、よかった。


サウンド・オブ・ミュージック」を好きかというと、音楽をいくつか知っているだけで、映画をちゃんと通して見た覚えはない。子供の頃に見たような気がするが何か退屈だったような気がする。「すべての山に登れ」などに、特にそんな印象を持ちそうな、そんな子供の頃の自分についての印象があるが、ほんとうかどうかわからない。
クリスティーナ・アギレラという人が歌ったものと、マイケル・ジャクソンが子供の頃に歌ったものをYouTubeで見た。どちらもなかなかいいものだった。この曲にはほかにもたくさんの歌唱があるようで、このような歌を持っている文化は豊かだと感じたが、さて、そんな感想は当を得ているのだろうか。あとは、この日本にそれに似た文化はないだろうか、と、思ったが、いまのところは思い当たらない。


タモリがミュージカルを嫌いだと言っていて、それはそれで当を得ている気がするが、ミュージカルの音楽はけっこう面白いと感じるのであって、そういえば「アニー」の「トゥモロー」さえも好きだと思ったのだけれど、今聴いてみるとそれほどでもない。
マイ・フェア・レディ」が好きだったのだけれど、それは大学の英語の授業で見たような気がする。ただし音楽としてはちょっとパッとしないかもしれない。オードリー・ヘップバーンつながりというわけではないが、「ムーン・リバー」という曲は好きだ。
また「サウンド・オブ・ミュージック」に戻ってしまうけれど、「ドレミの歌」だけは、子供の頃すごく好きだった覚えがある。「エーデル・ワイス」は少し長じてからか。すごく好きではなかったが、美しいとは思っていた。映画に主演したジュリー・アンドリュースさんは今もご健在で、さっき見た番組でインタビューに答えていたが、一番好きなのは「エーデル・ワイス」だという。完成度の高い曲だと言っていた。それはいかにも音楽家としての答えのようだった。
あと「私のお気に入り」の映画の場面が流れ、これはなにか印象的だった。歌詞、オスカー・ハマースタイン二世というひとで、音楽のリチャード・ロジャースとともにロジャース&ハマースタインとして知られてもいる。歌詞が字幕で出たのだけれど、この曲にあらわれている生活のなかのいとおしさ、これが全く失われたわけではないにしても、何かこの場面のようなかけがえのないちいさな輝きが、私たちの生活の中でうもれているような気がした。
貧しかったから良かったというわけにはいかない。が、豊かだからいいということでもなく、そういえば時間がない、心に余裕がないと思ったけれど、はたしてそれが本当の問題なのか。


私は文章がヘタで、これも文章になっていないと思うのであって、それは私という人間を表していると思う。そういうわけでブログをやることにして、やっている。
その文章というものが全然良くならないのは、私という人間がなかなかどうしようもない状態から抜け出せないことと関係がある気はする。

ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番

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