なにもしてない

というのは笙野頼子さんの本からで、その表題作ともうひとつ、「イセ市、ハルチ」が入っている文庫本。「なにもしてない」は読んで、「イセ市、ハルチ」は読み始めたばかり。「イセ市、ハルチ」、何かすごくいい気がする。「なにもしてない」も満足している。笙野頼子さんはほんとうに久々に楽しめそうな作家かも知れない。
小説を、読むということはなるべくやりたい、と、思ったが、それはほんとうか。


というだけでなく、なにもしてないと言いたいのだけれど、言いたいだけで、実のところはいろいろとしていて、しかしなにもしていないのとあまりかわらない感じがする。というのは私の日頃のこと。


ガスをつかっていない。うちで契約していガス会社はつかわないと基本料もとらない。と、いうことがわかった。つかってもたいしたことがないので、基本料ばかり払ってかなり割高なのでカセットコンロをつかうことにした。本当につかわないなら解約してくださいというようなことをちらっと言っていたが、めんどうなのでそれもしない。
しかし、カセットコンロが壊れた。というのを今カップラーメンを食べようと思って思い出した。食べられない。


ベートーヴェンがちょっとマイブーム。しかし、ベートーヴェンはやっぱりいいとか、いうことではなく、やっぱり納得は行かない。今朝はラジオでピアノ協奏曲を聴いたが、なんだろうなあ。しっかりとした、良くできた感じがするけれど、演奏も良い感じだったがなにか気に入らない。しかしその、なんだろう、というなにかが音楽史のきもではないかというようなことをつれづれと考えたが記憶が薄れ言葉は原形をとどめていない。いや、しっかりとしている、のほうかな、きもは。あとは、ベートーヴェンピアノソナタはちょっといいかもしれない。好きかも知れない。それは発見だ。バッハかな、でもちょっと違うかな、と思った曲がベートーヴェンだったと気付いて、ベートーヴェンを見直した。ベートーヴェン君、やればできたんだ、なんて感じ。勉強の意味ではなくまた聞いてみたいベートーヴェンは、ピアノソナタだ。
シューマンはもう少し普通に好きだ。「リーダークライス」をオーボエの人がやっているのをやはりラジオで聴いて、よかった。あとは「子供の情景」、「クライスレリアーナ」なんか。
シューベルトは、というと時代がもどったが、最近は少し好きだ。「ます」を、テレビのBGMで聴いた。あとは、「楽興の時」の、ゆうめいなやつ、歌曲はそれほどでもない。交響曲がまあまあ好きかも知れない。未完成とか、グレートとか。
で、ロマン派という話だが、また、次は作曲家の話で。
メンデルスゾーンは最近ちょっと気になる。「イタリア」交響曲の冒頭。
あと、ショパンシューマンメンデルスゾーンは友人で、ショパンがそこに加わった、とか、そんなエピソードがあったような。
そして、ブラームス。このなかでは一番好きで、詳しい。結局は、いやかつてはロマン派はあまり好きではなく、ブラームスはロマン派かどうかわからないが、かえってワーグナーブルックナーがロマンチックな気もするが、シューベルトシューマンブラームスのラインをとる。そんなでもブラームス以外は好きではなく、なんとなく敬遠していたが、やっと良さがわかってきた感じがして、それはベートーヴェンも同じ。
などと長々と書いてきたがいまだにドビュッシーの方がほんとうは好きだ、ということも変わらない。バッハも、というと話はややこしいのかな。まあでもそういうこと。
現在は、ロマン派がようやくふたたび瑞々しく聞こえる時代になったという気もするが、さて。


日付が変わってしまった。


あと、書くこととしては11月に美術、彫刻の発表が相次いだ、私の、ということがあり、思いのほかその間仕事が忙しくなるし制作も滞ったし大変で、面白かったものの疲れた。疲れたために面白さが半減したかも知れない。てなことが今後大変な課題として残った。
グループ展と、今まで10年くらいの作品から集めて展示した個展が続いた。せっかくそんなことをやるのだから平行してブログなどを書こうと思っていたがそんな余裕はなかったのが残念。


などとやっていても、なにもしていない感じは薄れず、病気かという感じもする。
それでもそんな病気くらいはここ数年間ではなんでもない部類。ただ、疲労が大きい感じはする。あとは太っているし、腸の具合はあまり良くないし、冬は私にとってきつい感じがする。

なにもしてない (講談社文庫)

なにもしてない (講談社文庫)