寒い冬

愛について、というタイトルで何か書こうと思ったが躊躇した。で、寒い冬、としたが。


今年の冬は就職していて、通勤時間も含めた就業時間が長いので、家を寝る以外はほとんど留守にしている。で、家が寒い。
そうでなくても今年は寒いのではないか。ここ数日毎日マイナス20度近い温度を、道路の温度計の電光表示に見ている。
今日は晴れていたし、それだけではなく気温も上がったようだ。小春日和、で、休日。しかし、風邪を引いていて、しかもなぜか昨日はよく眠れなかった。就職先以外から仕事を頼まれているのだけれど、頭がぼうっとしていたし、雑事もあって、ちょっとデータを確認しただけに終わった。
こんなことをしている場合ではないのだが。


確か独身男性は、既婚男性に比べて平均寿命が短い、そういうような統計を、読んだことがある。さらに結婚したことがあって離婚した人は、もっと短かったと思う。
女性の場合は差が少なかったと思うし、離婚した女性がわりと長生きしているのではないか。
女性の方がタフで、孤独に強いという話もありそうだ。コミュニケーション能力が高く、頭の切り換えもできる。そんな想像にもとらわれたが、生物的な性差が個体の能力差に統計的な傾向をもたらしている、なんて変な言葉を今思いついたが、性差・・・。
家事労働が実は身体も頭も使い、健康にも脳の働きを維持するためにもいいという想像もした。戦後初期までの女性の家事労働は厳しかった、それが日本で研究者に家電の発達をうながす一因だったというようなことは、「プロジェクトX」というかつて流行ったNHKの番組で見たのだったか。いずれにしろ、共働きが多くなった現在も家事労働の分担は女性の方がおおいという想像もした。
女性と男性で職場でのプレッシャーが違い、過労にも男性の方が巻き込まれやすいという想像もした。それがあたっているかどうかはわからない。独身男性は家事も苦手で健康管理も不得手だとか、そんな想像も。
日本の会社社会は構成員の犠牲を是として成り立っていて、それに気付いていないか、気付かないふりをしている。中国や韓国よりマシだと満足する人もいるのかも知れないが、改められるべきことだと思う。


私の話に戻るが、通勤距離が長く、冬になって今年は積雪が多く、路面の悪さに通勤時間が長くなることもさることながら、それ以上に緊張のためか疲労が激しい。そもそも不摂生だった時期の健康状態の悪化が解決していない。肝臓がいわゆる未病の状態だろう。疲れやすい。糖尿はギリギリ再検査で解放されているが、要注意のまま15年くらいになる。不摂生と関係があるかどうかわからないが、大腸は最も悪いと思う。ストレスがこの臓器の働きに最も悪い影響を与えているようだ。長生きは出来ないと思う。
そんな弱気にならずに、こんな社会にできるだけ屈服せず健康に生きたいものではあるが、すでに抵抗の意志が弱まってもいる。


愛について、をタイトルからは外したが、からめようとは思っていた。
私たちの愛、異性愛、なんてことばには違和感があるが、それが人生の焦点になる。そのおかげで生まれてきたからだ、という理屈が万能とは思わないし、同性愛の人を不自然と断罪する気持ちは私にはないが、たとえば男性は遺伝子の運び手とかいう生物学的なのか、そんなような話にも、説得力を感じる。
ふと、生物学的な決定論に与して自由意志の力を過小評価する気もしたが、そもそも私が自由意志の力に乏しい人間のような気もする。
一夫一婦制にも、私たちの愛は左右されるなあ、されているなあ、否応なく。
それに逆らいたい・・・といっても恋人をたくさん持ちたいわけではなく、どちらかというと平穏に一人を愛していきたい気がするものの、制度からの要請に自分の思考が左右されてしまっていることに面白くない感じを覚えるだけだが、それは少なくとも私にとって何もいいことはないかもしれない。
結婚ということを考える。
それが難しくなってしまった、特に男性の末路の多くは孤独死だと2ちゃんねるまとめサイトで取り上げられていたが、まあ、そうだとして、そんな未来の展望を避けるために自分の行動を左右することにも気が引ける。自分が何をしたいのかわからないのか。いずれにしろ、私一人が考える問題でもない。
結婚ということは別にして、老後もつきあえる人間関係をよりよい状態で保ちたいという気持ちは強まっている。
が、まあ、苦手なんだな、人付き合い。あとは、どうして馬鹿が多かったり、馬鹿でない人も馬鹿なことに左右されすぎるのか。


いちおうは、案外、自分のことだけでなくもっといろいろな人の幸せを考えよう、と思うと、少し楽になる。言葉の選び方はおかしいが、案外そんなようなことを考える。それがむしろ自分のためになるので、そうしてまた逆に自分のやりたいことは何かを考えてもいい気が、ようやくしてくる。