日本の芸術・文化について 4

他の事を書こうと思っていたのだけれど、書きたいことが多すぎる。そのせいか、忘れる。
そしてこの続きを書くことになってしまった。


突然だが情報化社会という状態のなかで、あるいは学校化社会などという、とある個人のつかった言葉を、勝手に私の出鱈目な使い方でつかってしまうにすぎない状態の中で、私たちは暮らしている、とか、考える。
音楽をやるというと「バンドをやったり合唱をやったりブラスバンドに入ったり」だというようなことを書いてしまってそのことから情報化社会と学校化社会なんてことを考えてしまったわけで、それらの渦中にあればそれを自明と感じるのであろうが、私はいちおう自明なことではないと考えているわけであったりする。
自分は大学という学校のマンドリン合奏のサークルに入ったのだけれど、そのことを自明だと感じられなかったのは、入った後に集団の中で翻弄された感じが強かったこともあるが、あるいはもっと自然に音楽が生活の中にある状態がありうると感じていて、それと対比するものとして今はかつてのアイヌ文化の中のムックリのことや、沖縄の家庭にあるだろう三線、それらが家庭、生活の中で響くこと、などというようなことを考える。
が、そういうことを横目で見つつ、私はいまだにマンドリン合奏の輪の中でそれなりの位置を占めている。
情報化社会と学校化社会ということで言えば、バンドに向かうことは情報につれて変化する流れで生まれた部分があると感じていなくはない。バンドという例を出しはしたものの、今はバンドではなく違った形で音楽をするように多様化している可能性もあり、オタク文化の中で生まれた音楽のやりようみたいな形で打ち込みに取り組む人が増えてきたりしているか、これからそうなるのか、しかしそれはそれでバンドのようなものに近い形がそこから生まれるかも知れず、とにかくしかし個人の衝動が情報によって方向付けされてしまっているのではないかというような仮説を立ててしまったりもする。そんなことがはっきり重要だと考えているわけではなく、ではあるが。
「合唱をやったりブラスバンドに入ったり」ということは学校(化社会)のなかである種規格化しやすいふたつの分野として衰退しつつもいまだ主要な形態として主流となっている。なんでこんなかたちなのか、リーズナブルな理由が考えられるだろうが、とりあえずそれはおいておく。この2つの分野以上にリーズナブルなものは生まれなかったことの理由の一つに、この2つがすでに主流であるために条件が整備されているということだけを書いておく。


ブラスバンドの演奏に魅力を感じたことがあった。小学生だった私がいいなあ、と思ったのは「マンボNo.5」だったなあ。中学生の時はスティービー・ワンダーの、「サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」じゃあないな・・・「サー・デューク」だったかもしれない。あとは、「A列車で行こう」だったか。結局はブラスバンドに入らなかったのは家が貧しく、あとは集団になじめそうではないということ、さらには中学入学時点ですでにビートルズや日本のニューミュージック、洋楽では様々なロック、ポップ、ニュー・ウェーブなんていわれるものにさえ関心を持っていたので、学校の規格の中で表現活動をするなんてことに違和感があったわけだけれど、演奏を終えた後のステージにつばきがてんてんと落ちていたことなんかがちょっといやだったなんて思い出もあるが、やらなくて良かったという思いも強い。
合唱に魅力を感じなかったわけではないが、そういう団体に入ることはなにか格好が良い感じがしなかったかもしれない。あとはブラスについて書いたことと同様。
なんか習い事をやるような感じが嫌だったかも知れない。
バンドをやらなかったのは当時流行っていたのがヘヴィメタルだったからでもあるが、誘われるまでに到らなかったということもある。やっていたとしても、幻滅しただろう。あるいは、幻滅する以前に、なにやってるのかわからない話になった気がする。


大学の空気はもっと風通しが良く、自主的で、誰でも何かに誘われ、自然で、管楽器よりも弦楽器が好きで、マンドリンというのは習熟が容易なわりに音楽の面白さに近づく早道だと感じた。結局は今に至るまで違和感を感じながらでも、その判断は間違っていなかったと感じている。ブラスバンドのようには方向付けがはっきりしていないことに、また、技術の追求の占める比重が小さくすむコミュニティーだということに、それはもちろん安易ででたらめなことが多いという弊害があるとしても、今も魅力を感じている。
まあ、それはさておき。


ということでマンドリンという楽器を中心(媒介?)として、私の音楽のたのしみや追求をこれからも進めていくつもりではあるのだけれど、既存のサークル、などと書きはしたが、私が所属した(してしまった)コミュニティーに、私の方向性は依存しているし、そのコミュニティーのために「出来るだけ」寄与しようとしてさえいた。そのようなかたちでも、これからは、「出来る範囲で」という書き方に比重をかなり軽くしつつも続けようとは思っているものの、やってきたことをふりかえり、違った形、もっと自分がやりたい方向に見直すことは出来ないかということも考えている。
他の楽器の方がいいかもしれないということも、もっとひとりでやったほうがいいかもしれないということも、念頭にはあり、一人でも何かはやってきているし、それは発表するかどうかは別として、ずいぶんやってきてはいるなあ、という感じもある。


「日本の」芸術・文化について考えていて、私的な話になったのはちょっとおかしな話だと思うものの、これはつまり情報化と学校というものとの関わりを無視できないなりに、それにとどまらない行き方を模索していこうということでは、書いておいてもいいことかも知れない、などとは思っている。漠然としすぎてはいるが。


ひとりでなにをやっているかというと、楽譜を集め、なぞって弾いてみたり、いろいろ考えたりしている。
ヴィラ=ロボスの楽譜を一冊だけ持っていて、最近たまたまその巻頭にある作曲家についての紹介を読み、彼に関心を持ったことが間違いではなかったと満足した。それとは全く違うがベートーヴェンブラームスの事を考えたりする。あるいはチャイコフスキーや、ドヴォルザークバルトーク。スペインのアルベニスと、最近はトゥリーナが少し気になったりしている。あと、サティとバッハ。
マンドリンに関しても、イタリアや、ドイツ、そして日本でアマチュア楽家たちのために曲を書いてきたひとたちのことに思いをはせることは、案外つまらない話ではない。もっと主流の管弦楽やピアノなどの楽器のために曲を書いてきた大作曲家たちのことを横目に見ることを忘れずに、あるいはロックやポピュラー音楽、ジャズ映画音楽などさえも決して忘れることは出来ないまま。
西洋の音楽をやっているのだということ、このことからは逃れられないと感じつつ、アイヌムックリや各地の口琴、沖縄の三線、時には津軽の太棹三味線やふつうの三味線と、日本に100年くらいまであった、市井に流れていた音楽やら、全く違うかも知れない日本の宮廷音楽、雅楽、とすれば中国のそれはどうかとか、世界の民族音楽、そういえば去年かおととしテレビで知った台湾の先住民族の音楽にはびっくりしたな、とか。


これは尻切れトンボなのだろうとおもいつつも、音楽のことについて何かちょっと書けたなと満足しつつ、美術や、建築なんかはどうか、あと、ふと宗教のことが気になったところで今日は終わる。


え? 結局お前は何をしたいのか? って?