日本の芸術・文化について 3

完全に話がそれてしまった。そもそも私は何が書きたかったのか。
私が若干だけれども接することができたアイヌ文化と、せいぜい映画やテレビ、CDなどで触れた程度の沖縄の音楽文化などと、日本の文化のちがい、が、けっこう決定的ではないかと思っているようだ。私は。
過去、近代以前、などという区分を私が明確に持っているわけではないがとりあえず江戸期を想定して和人文化(当時の区分で日本文化と言っていいのか?)とアイヌ琉球の文化に違いがあったと考えることが出来るのは、江戸を首都とする日本の文化・政治経済活動の規模が琉球や、特にアイヌ地域と比べると大きく、そのためか階層化も顕著で都市と地方、農漁村部との格差というか、地域差というか、それも顕著で浮世絵などという複製技術自体の芸術に農漁村の人たちは触れることはなかっただろうし、しかしお伊勢参りなんて大イベントをやらかしもしたのかな、江戸時代の庶民は、なんてことは重要なのかそうでないのか。
当時のアイヌ地域の文化を想像すると、人の行き来はかえってそれ以前の時代の交易の方が盛んだったような、なんの根拠もない想像をしてしまうが、江戸時代には和人によるある程度の支配的な抑圧、抑制が進んでいたのではないかとこれまた根拠のない想像をしてしまい、いずれにしても自らの居住地域の自然との関係や人間同士の交流により深く・・・何と書けばいいのか・・・根ざした・・・文化・・・を、持っていた、はずだ。
いや、当時であれば和人の地域であっても地方の辺境に外れていけば行くほど同様な傾向もあっただろう。さっきからアイヌ文化が文字を持たなかったということが頭の隅に浮かんでは消えていたが和人地域の、首都江戸の識字率が世界一といって良かったかも知れないような状況とは、はずれの地域は全くちがったはずではあり、識字出来るのは庄屋さんだけだとか、そんなイメージも浮かぶ。そこには違った問題が生じるのであって、都会やそれが象徴する権力中枢がある種抑圧的にはたらくこと、都市の教養が地方をどうイメージしえたか、そもそもが関心さえ持たなかったかも知れないが差別的な意識が浮かばないではおらなかっただろうとか、それにしても平和が訪れた時代の長旅の途中では僻地を通過することも・・・ないか。宿場町には僻地と違う文化があったとしか思えぬ・・・とすれば当時の地方とは、庶民とは、などと考えている私の脳裏に浮かぶ日本の僻地というものは、深沢七郎の「笛吹川」なので江戸時代ではなく戦国時代だったりするが・・・。
いや、なにを書いているのか。
そんなものと違ったアイヌの人たちの文化というものに対するイメージは、もしかしたら日本文化に対する、ある人たちに言わせると自虐的とも言える同類嫌悪的な自己否定的な衝動に基づく他者の過剰な理想化が、全くないとは言えないかも知れないにしてもそうでもないはずだとは思うものの、ある種どこかにあるユートピアが実は身近にあったと思いたい色眼鏡が少なくとも少しは作用していることは否定できなくはない。
しかしなあ、文字を持たない文化の、私たちとは違う、特にこんな風にだらだらと何もかも外部記憶装置に記憶してしまおうとする姿勢がそもそも存在しえないような記憶のちからの世界、物事、情報の伝わり方のちがい、それによる知恵の伝え方に対するイメージの違い、それは知性の在り方として何かが違うだろうなどと思ってしまう。具体的には共同体の生活の中で模様を作ること、例えば地面に模様を描いて刺繍や木彫につかう模様を考えるなんてイメージ、それが人々の間で伝わっていくことへの想像、ある意味では私が美術系の大学で絵を描く人たちだらけの中で過ごしてきたのと似ているとはいえ中にはそういう事をやる気がない人がどちらにもいるにしろ、社会全体の中で美術を選ぶ人が特殊だったりするよりは、コミュニティーの中に模様を考える事を楽しむ人たちの割合が、ものすごく高かっただろうということに、ついつい私はユートピアを見てしまう。
音楽の話になるとバンドをやったり合唱をやったりブラスバンドに入ったりというひとのそれと、私はムックリを弾くのが好きだということのちがい、また沖縄の話になると家にある三線を私は弾くけどお兄ちゃんはあんまり好きではないとかいうこととの、違い、なんて、いつのまにか現代も混じった話になってしまって、しかしまあ、とにかく、現在のアイヌ文化の世界で模様を考えるということも実はかつてのそれと遠くはなく、私が美術系の大学で彫刻を学ぶことはかつての何に比べうるのか、あるいは円空さんとは遙か彼方に遠い話であるところで円空にあこがれて見るというのと同じようにアイヌ文化を見ているのか。


と、この先にも何か考えていたような気がするが、今日付が変わったのに気付いた途端にすっかり忘れてしまった。しかしまあ、なんと支離滅裂のようだ。

円空仏と北海道〔北方新書6〕

円空仏と北海道〔北方新書6〕