日本の芸術・文化について 2

残念ながら自分が面白いと思ってきた日本の、芸術的と現在なら言えるような、作品と現代なら言うようないろいろなものごとは、主に権力者かそれに近い人たちによるものだ。私はどうしても桂離宮を好む。あれを作った人を権力者といわざるを得ないだろう、と、書くことにどれほどの意味があるかどうかはともかく。また、例えば本阿弥光悦千利休などという人の話を聞いたり読んだりすると、単に権力に収まりかえった人たちとは言えず、面白さは格別であるが庶民であったはずもない。江戸の町人の文化として浮世絵がある、と、いちおうは美術を専門とする私としてもふと思い浮かぶものの、江戸で町人はなぜそんな豊かさを謳歌しえたか、農村はどうだっか、と、書いてみたりしたくもなる。それに何か意味があるのかはともかく。


沖縄の家々に三線があって、折に触れ歌うということがときどき映像で紹介される。照屋林助さんも紹介していた小那覇舞天さんというひとがいて、太平洋戦争後、家々をまわって芸を見せたというようなはなしも何度か見たが、それはついでに思い出したことで、どちらにしても楽器とうたが身近で生活の中にとけこんでいるということがうかがえる。今は少し変わってきているにしても、もしかしたら沖縄県出身の音楽家が多い点に生活と音楽が今も近しいことをうかがえるのかもしれない、などとも思う。
アイヌの工芸が生活にとけ込んでいたということが、どの程度かは量りがたい。彼らが明治以降特に困窮に追い込まれた中で工芸品の制作がほんとうに貴重な現金収入の手段として家々に拡がったことがあったようでもあり、生活といっても、その時点で楽しみであったか、という疑問もふと持つが、と書いて、楽しみかどうか、を私が気にしているのも変な話なのかも知れない、とも思うが、とにかく工芸というか、模様を考えそれで衣類や日用品を飾るといういとなみがまるまる喜びを失ったことはないだろうし、そこに現れているだろう心の動きは、精神的な豊かさとして感じられる。私には、だが。それは今も実は、生活が全く和人と変わらなくなっていても、そこにプラス・アルファのように大切にされているようであり、それは誰にとってもではないにしても、そんなに違和感なく感じ取られていることではないか。


いや、別に日本に主流の、ここでまた民族なんて言葉をつかうことのばかばかしさを感じつつ、ではあるものの、中国で漢人というような意味に近いのか和人という日本国民の多くを占める民族、なんて書くと国民ということばも何か鬱陶しく感じられるが、その生活に創造性をはらんだ楽しみが乏しい、乏しかった、などということは言えず、都市が絢爛な文化を誇っていた時期の貧しい農村でも、形にはなりにくいにしてもその生活の中にたとえばうたやおどりが、今の大量複製文化の中の音楽とは比較にならないほどに活き活きとしていただろうし。


同じはなしのようだが、つまりは沖縄やアイヌの文化の中では現在もプリミティブでありながら洗練もされている文化を、ある程度は意識的であっても、より自然な形で、たとえば和人の間で郷土芸能が保護されることよりも、普通の人によって、といっても、ある種の優劣が生じはするものの、守られ命脈を保っている、などという言葉が適当かはともかくそんな感じがする。


で、まあ、しかし、私のこと、私はアイヌの一員でも沖縄の人でもないし、敬意は払いつつもあるひとたちのようにそういう文化の継承者として飛び込む予定もない。
それどころか、桂離宮を好み千利休に関心を持ち、アイヌ模様の面白さに目を開かれ沖縄の音楽に心を惹かれても、専門は彫刻、やっているのは西洋音楽で、いちおうはモダンデザインの流れで仕事を続けている(実はデザインをしているなどとは言いにくい)。
それで収入は得ておらず時間を多く割くことは出来ないにしても彫刻が自分のアイデンティティの核の近くにあるイメージを持っており、ミケランジェロやらブランクーシ、ロッソやイサム・ノグチ、ほかの名前と作品が折に触れうかぶわけであり、そんな私は何か、私は何をしているのか、ある種のひとり(よがり)芸術文化研究所、しかも質も低く量にも乏しい調査と研究と思索と実践をほそぼそと続けている、てなもんや三度笠、ということだけれど、そんな状態と対照的なのがアイヌや沖縄の文化であるように思える、とか、そういう事を書こうとしていたのではないが、まあ、そんなことも浮かぶ。


と、何か書かなくてもいい自分のことなどを書いたりしているうちに何をやっているのかわからなくなってしまった。
いつのまにかネットで小田部羊一さんについて調べていた。いつのまにか任天堂に勤めていたりしたのか。いやあまりに話題がとびすぎた。
そうそう、この文のタイトルは、日本の芸術・文化について、で、突然だが現在のオタク文化のことなど考えなくても良いのかも知れないが少しは知ってしまうことになっていることを思い出す。おもえばこのブログの名前は「おたくかな」だがいつのまにかそんなの関係なくなっている。
私のやっているなにか実はアカデミックなことと接しているようなこと(特にいい意味ではない)のほか、伝統文化(特にいい意味ではない)、大衆文化(特にいい意味ではない)、いろいろあるなあ、などと書いている時点で意味がないテキストになっているのかもしれないが、とりあえず拡散をしてしまって収拾がつかないこともそれとして、今日のところは終わる。