でたらめ日記110329

先ほど散歩から帰ってくる途中、ご近所の顔見知りの方から、お隣の方が一週間前に亡くなられていたことを聞いた。お隣と言っても裏の、というほうが正しい。庭を接しているので、ある程度親しくさせていただいていた。庭を接していたもうひと方も同じように少しずつ交際していたが、何時だったか聞き忘れたのだけれど、亡くなられていたという。
私の家の裏庭は、アパート一棟建っていた場所が空き地になっていたのを畑にしているのだが、そこを囲むように5件が接している。ほかに2件普通のお隣がある。それで妙な表現になってしまったが、1件を除いて、町内の道路に囲まれた一角のすべての家が私の家の敷地に接している。おおきな家のようだが、親戚から借りている借家で、親戚はちょっとした地主だ。家賃も安いが家も自分で補修している。そのうちこの土地が売られるときに、私はここを去ることになる。その前に私が亡くなるのでなければ。


最初に書いたお宅で亡くなられたのは奥さんで、私の母より少し若い感じだった。3年前にご主人が亡くなられたけれど、その前の年の秋には屋根のペンキを横まできれいに塗っていた。塀も直していて、そちらは私もけっこう手伝った。まさか次の年の春が来ないうちに亡くなられるとは思わなかった。
その後奥さんもご病気がわかり、その話も少しは聞いていたのを今になって思い出したが、忘れていた。ご自身の用事はまだご自分で足されていて、亡くなられる前日にもみんな挨拶していたという。私自身がお会いしたのはひと月前くらいだったろうか。以前ほどのお元気がないのは気にかかっていたが、まさかこんなに早く亡くなられるとは思えなかった。昨年の秋、ご主人が塗ったペンキの缶の処分に困っていて、それは私が捨てますよ、と、預かっていた。まだ処分していない。


次に書いた方はもっとご年配で、昨年は特に足が大変で畑の手入れが出来ないとこぼされていた。
私は下手だけれども野菜を作っていて、どちらのお宅にも出来たものをときどき食べていただいていた。作るタイミングを計れないので、食べきれなくなる。採りそこねたり食べそこねたりするよりもずっとうれしい。
こちらの奥さんはもうずいぶん前にご主人を亡くされていた。畑については先輩で、私の家の何分の一もない狭い土地で作られていたが、特にお上手だったというわけでもない。が、作ったものを差し上げると何かと取り替えてくださった。
そういうつきあいに救われていた時期も、長くあった、が、ついに、あっという間に、いなくなってしまった。
周囲はそこまでのつきあいもないひとばかりになってしまった。
私は以前ほどには、誰かに救われなくても大丈夫になっているのだけれど。


おふた方の、どちらのお葬式にも出なかった。私には知らされなかった。最初のお宅のご主人が亡くなられたときにもそうだったが。
町内会の班に入っている人は、これでずいぶん少なくなってしまった。私は入ってはいるが、いろいろなことは免除してもらって、町内会費もいいとさえ言われているが、そればかりは払っている。
私の隣家のひとつは6世帯のアパートで、空き部屋がない。そこの人たちがこの一角の人口の半分以上になったのだけれど、私の家の敷地の半分もないところに人と車を押し込めている。ほとんどと頭を下げることすらない。アパートが建って、どんどん入居してきたが、そのときには誰も挨拶に来なかった。私より年配の方さえも。
そういう時代なのだろう。アパートの人同士は挨拶をしあった家もあったかもしれない。ただし、誰も町内会には入っていないはずだ。私がしゃしゃり出るという性格ではないし、町内会の活動を免除されているほうだ。


母が昨日インフルエンザにかかっていたようで、今日わかった。私も熱っぽいような気がしたが、計ってみたところ熱はなかった。しかし、念のため、行くつもりだった近所の知人の所へは行かない事にした。
家のまわりから近くの山への散歩は定番だったのだが、今日は本当に久しぶりだった。10時くらいに出て、その途中で、今日はじめて震災のことを思い出した。川のそばを歩いていて、枯れ枝が落ちているのを見たときで、朝からそれまでの数時間震災のことを全く忘れていたことに気付いた。
昨日から母の熱が出ていたので、食事にはいつも近所に住んでいる母の所に行っていたのだが、念のために行かないことにしていて、そのせいでテレビを見ていなかった。仕事が休みなので車でラジオを聞くこともなかった。
妙な気がした。
それから家に帰る途中、ご近所の方の訃報を聞いた。
震災についても、冬の間ほとんど顔を合わせることがなかったご近所の方の訃報も、現実感がない。
私の今の生活はかなり偽物なのだろう。