彫刻をつくる110330

個展、喫茶店で毎年やっているちいさな個展の2日前。
昨日からの3日間、ほぼその準備に専念できるお休みだったのだけれど、それ以外のことをしてばかり。特に今日は、昨日以上に・・・作品は日曜に(ほぼ)出来た2つ以来、1日に3つか4つくらい出来てもいいといえばいいのだけれど、かなりひどいもの1つ意外着手してもいない。作品、などといっても、いかにも安直な、木材を使った構成的なもの。
構成的といっても日曜大工的な技術に彫刻的な作業がうっすらと混じっている奇妙な手順で作ったもの。とりあえず色彩は素材の色。マチエルなどは下手な細工の変な質感と、ノミあとの彫刻っぽい部分が混在している、いちおうは作業の試行錯誤というかそういう経過が表面に出ていて、それは構想の抽象性と矛盾する、とか言えるかもしれないようなもの。
いつもながら、もっと時間があれば、と、思う。そして、この、個展の制作が終わったあとが本当は問題で、そのあたりで次につながるものがあるのだけれど、しかも毎回、そのことを忘れてしまう。


もっと書くことがありそうなものだけれど、いやその次につながるものなんかがあるはずなのだけれど、恐ろしいことに個展の制作が終わったあとどころか、終わる直前に忘れてしまっている。
覚えているのは、たとえばこんなつまらない、電動工具で今回は木を加工しているのだけれど、粉末になって飛散するのが大変不愉快だというようなことだ。私はハウスダストのアレルギーがあるのだけれど、この粉末はアレルゲンになるのではないかと邪推する。実際にはおそらくそういうことはないのだろうが、しかしアレルギーではなくてもくしゃみくらいは誘発するのだろうし、そのくらいのことはある。作業用のマスクはしているが、時々忘れたりして、木の粉でじん肺にならないかというような不安がよぎる。冬の外の作業は寒くて耐えられない。それで今年は使っていない浴室にブルーシートなどを敷いたりして機械作業で使っているが、せまいので粉が充満する。パーカーの帽子をかぶったり手ぬぐいを頭や首に巻いたりするが前髪は粉だらけ。顔もそうだし、やっかいなのは目に入ることで、防塵メガネというようなものは近眼鏡のうえにかけられるのだがマスクと組み合わせると眼鏡が曇ってしまう。
今日はあたたかくなったので久しぶりに外で作業して、粉末も風がずいぶん吹き飛ばしてくれて気分が良かった。しかし、寒さもそうだけれど騒音も問題で、気兼ねしてしまう。近所で時折そんな音が聞こえてくるのでダメとまでは思わないが、休日の午前や午後に家でゆっくりしていて電動工具の音がひっきりなしに聞こえたら愉快ではないだろうなと思う。私の裏の作業スペースは残念ながらその庭を取り巻く各家々のベランダに囲まれてもいる・・・。
作業場を根本的に考えられないかということはさすがに忘れずに済みそうではある。


本当は今日の残りの時間、新しい作品をまだ作りたいのだが、疲れた。部屋の中が泥棒に入られた以上に炸裂しているのだけれど、少し片付けて、できかけの作品を並べて展示計画をぼんやり考えたら寝よう。
本来そんな余裕があるわけではないが、なぜか精神的には、気分的には余裕があって、そんなことははじめてだ。しかし、作品づくりの昂揚感が欠けているだけなのかもしれない。展示計画というものを、今回ほどあらかじめ考え始めていることはなかったかもしれない。その分作品そのものは若干最後のつめが甘くなってくるかもしれない。
あとは、作品のタイトルも考えなくては。


しかし、ひどい内容だ、この文章・・・。
「Fukushima 50」が世界的に話題になっているらしい折、同じ日本の中で半ば震災を忘れ、灯油の値段が上がっているのを見て思い出す。
傑作を作らなければこんなことをしている事が許されない気もするが、そう簡単にはできない。日々の疲れもけっこうたまっている。自分のいつもやっている事を、なるべく後退せずに続けるだけでも・・・出来ることに最善を尽くしたい。
今やっていることが最善とはとても言えないが・・・。