後は野となれ山となれ

このさわやかな響きの言葉!
対義語として
 立つ鳥跡を濁さず
があたるらしく、私が心がけているのは実はこちらのほうなのだが、何か辻褄を合わせようと汲々としているようなイメージがあるのは、人間は鳥のようには見事に飛び立つことは出来ないからだろうというのと、私自身がそのときそのとき何かに汲々としているから、か。
 老兵は死なず、ただ消え去るのみ
という言葉もあるらしく、これもまた面白いが、マッカーサーの言葉として有名になったようだ。もとは幾分ルサンチマンを感じさせる、軍人の間で流行ったうたの言葉のようだ。
私は何の言葉を並べているのか、去りゆく人のあり方、かもしれないが、続くのは違う内容。


原子力発電の推進計画を白紙にする方針を表明した、という言葉が合っているかどうかわからないが、そんなことを菅内閣は標榜(?)したようである。
浜岡原発の停止要請、中部電力の受け容れ、ということがその前にあったのだが、そのときには菅内閣の起死回生を計るだけの愚策だというような批判を読んだ気がする。何となくそんな言葉がよく似合うようになってしまった菅首相のような気もするが、そういう批判がまた何か歪んだ口先で語られているようにも感じられ、そんな内閣批判に明け暮れそれが支持されるのに味をしめたいやらしさが浮き上がってきたようでもある。自民党支持者なのか、保守主義なのか。保守主義なんて立派なものでもない感じはするが。
というように批判が続けられるだろうし、それに溜飲を下げるひとも多いのかもしれないが、単純に原子力発電に不安を感じる人の支持を得られるとは思うし、それは政治信条とか支持政党とは関係なく政権に対する投票を左右する評価軸になるだろう。そういう判断に軽薄な感じを受けなくもないが、そうなのかどうか、完全にそうとは思えないがある程度は現実的な判断であるとも思える。やっぱり収拾がつかなくなるのは怖い。
原子力計画は、まるで賭けのようなものだったと思われ、それに負けたとも思える。その賭けのツケは賭けを行った人ではなくたまたま関係してしまった人が、払うようで。
自民党は計画見直しに反対するのか、どうか。
世論調査では原子力計画容認派が過半数を占めるのだから、それを単純に考えれば民主党支持は減る。しかし、何かそういう計算とはちょっと違うのではないかという気もする。


タイトルの言葉は原子力計画を後に残して去っていく人たちにふさわしいと思ったのであって、わざわざこんな言葉を吐いたりするどころか思いもしないが、実際にはそんな感じでやりたいことをやる人が、多い。
そんな人でないとなかなか何も出来ないようでもある。跡を濁さないだけで、何も出来ない人とか。
それが現段階の人間のようだ。
思い切り何かをやって、跡を濁さないような見事さには、残念ながら私も無縁なようだ。