でたらめ音楽日記110807

便宜上こんなタイトルを付けてみたが、音楽日記なのかどうか。
そういえば、音楽日記といっても音楽をやっている日記ではなく聴いている日記であることしかないのだが、思えば音楽をやっていなくもないが、しかし何か書くほどのことはやっていないか。
てな事を書くのはなんと幼稚なことか。しかしこんな幼稚なまま中年になった人間が手遅れなのは言うまでもない。


聴いている方も、もちろんこれといって人に読んでもらうほどの面白い話ではないのかもしれない。
ところで、今日は行きつけではないライブハウスに行ってきたけれどそこに取材が来ていて、その雑誌が10月に出るといったらご主人がその店が「その頃まであるかどうか」というようなことを言っていて、それそのものは冗談なのだろうが、大変なのは知っているのでヒヤッとした。「いつまでもあると思うな」という・・・。
行きつけではないが、余裕が出来たらなるべく行きたいと常に思っているものでもあり、自分で楽器なんか弾いているより、楽器の演奏のために使うお金をそのライブハウスの客として使った方がよっぽど世のため人のためになるかなと、まあそういう話にではないというのが正しいにしても、それでも思った。
マニアックな音楽をやっている(?)ライブハウスで、そんな音楽を聴いている人は少なくて、私はその一人で、それなのに日常に流されてしまって、あまりそこへは行かない。ご主人は私の好みをちゃんと覚えていて、というのはそのマニアックな人があまりいないために覚えていてくれるものではあるのだろうが、しかしつまりは音楽への愛情などという言葉しか思いつかないもののそれは私などには及びもつかないものであり、そういう人のやっているライブハウスのほうが私の楽器演奏などよりは遙かに価値があるものを、という文章はほぼ了解不能かもしれないが。


好みと書いたが、その言葉を便宜上使いはしたものの関心が深いというのがより正しい(なんてことはどうでもいいか)ミュージシャンがいて、その名前は書かないが、上の話はその人のことを話したということだが、その人に、高橋悠治は少し関係がある。
という無理なつなげ方をする必要はないのだが、そのライブハウスがライブをやっていないところに行って雑談をすることになったあとに行った喫茶店、私が毎年個展をする、なんて書くと私はすごいと書いていると思われないかと心配なのだがもちろんすごくはなく、とにかくそういう喫茶店でラジオがかかっていて、6時になって現代音楽の時間で、ということでNHKFMなのだけれど、高橋悠治藤井一興の、「20世紀横断」というコンサートからやっていたらしいとその番組が終わった時に言っていたのを今番組表を見て書いているのだけれど、そのプログラムをNHKのサイトからコピーするのだ。したいので。

「2台のピアノのための舞踏組曲」小倉朗・作曲
「ウィー・シング・フォー・ザ・フューチャー」コーネリウス・カーデュー作曲
「ブーラヴォーグ」コーネリウス・カーデュー作曲
トッパン・ホールで収録〜               

だそうだ。小倉朗さんの曲もけっこう好きだった。カーデューの1曲目はサティっぽいなあと思ってけっこう好みだった。これは高橋悠治のソロピアノ。
最後の「ブーラヴォーグ」は、三宅榛名とのデュオのCDに入っているのを持っていて、よく聴いた。私の最も好きなピアノ曲のひとつ。しかし、なぜこの曲が好きなのか、自分で良くわからない。
このコンサートの放送は2回目らしいので、1回目の放送のプログラムが気になって調べてみた。

「1つの音による幻想曲」パーセル作曲、クルターグ編曲
「“遊戯”第4巻と第8巻から抜粋」クルターグ作曲
カンタータ第106番“神の時”」バッハ作曲、クルターグ編曲
「とげうた」高橋悠治・作曲
「映像第2集から“金色のさかな”」ドビュッシー作曲
前奏曲集第2巻から“花火”」ドビュッシー作曲
〜東京・トッパンホールで収録〜

だそうだ。クルターグ! 懐かしいなあ。編曲かあ、パーセルに、バッハ。聴きたかったなあ。クルターグさん、まだ生きている。85歳。
ドビュッシー藤井一興氏の演奏。
その後が、小倉朗さんに、カーデューだったのか。

この日は、余った時間に

「オルガン曲“おお汚れなき神の子羊”」バッハ作曲、クルターグ編曲

なんて曲を流したらしく、演奏が「ジェルジークルターグ」と「マルタ・クルターグ」ということになっていて、<ポリグラム POCC−8109>というCDかららしい。

まあ、そういう・・・。

コンプリート・レコーディングス

コンプリート・レコーディングス

いちめん菜の花

いちめん菜の花

三宅榛名-高橋悠治II 1980年代作品集

三宅榛名-高橋悠治II 1980年代作品集