歌について 1

こんなことを書くつもりはなかったのだけれど、さんまのからさわぎが終わったらしい。で、そのあの不思議な変な歌はケイト・ブッシュだったらしい。「天使と小悪魔」のなかの「Wuthering Heights(嵐が丘)」らしい。デビューシングルらしい。すごいなあ。しかし、実は、矢野顕子だと、ときどきうっすらと思っていた。



歌ってなんだろうというか、そんなことを最近少し考えて、まあ、よくわからない。
人が声を使った音楽はだいたい歌だろう。と、書くと歌がだいたい音楽のようだが、そういうつもりがあるわけでもないと書いている私は変なことを書く人だと思うだろうがそういう事を考えたのだ。
人がと書いたのが思えばおかしいが、なぜなら音楽は人がやるものだからで、わざわざ人がと書くこともないのだが、いちおうは最近は常識があやしいのだから人がやるのではない音楽もあるかもしれないのだ。



歌のことを考え始めたのは「さとうきび畑」という歌のことを久しぶりに思い出して、この歌が私は好きかというとあやしいけれど、重要なのは間違いないと考えているというようなことを考えたからだ。これはいつかNHKの「みんなのうた」で聴いて知ったはずで、印象が強かったのは確かだ。
思えばフォークというものがあって、この歌がそうかというと、わからないが、少し何か似ている。いまでは私はフォークの多くの曲よりこの歌は重要だと思っているが、なぜかはわからない。
似ているのは戦争を歌ったりしていて、それは反体制っぽいからかもしれないと思わないでもないが、なぜ戦争を歌うと、ただし戦争を賛美せずに、ということでだけれど、反体制っぽいのかというと、戦争を行うのは国家体制で、と書き始めたけれど面倒なのでやめようかと思う。


そのつながりで思い出してしまったのはビクトル・ハラの「El derecho de vivir en paz(平和に生きる権利)」。しかしこれについては以前に書いた気がする。この歌は好きだ。


そのつながりというとちょっと変だがミルトン・ナシメントの「TRAVESSIA(トラヴェシーア)」が好きだ。歌ということでは過去最も好きだったもしれない。


もう、つながりがあるのかどうかわからないが、マノス・ハジダキスの、なんて作曲者を書かない方が通りがいいだろう、「日曜はダメよ」がなぜか好きだ。


サウンド・オブ・ミュージック」の、「すべての山に登れ」が、好きだ。なぜか。数年前からだけれど、どんどん好きになる。



もちろんこれらは歌詞があるものばかりで、おそらく歌詞と旋律が深く結びついている歌ばかりあがっている気もするが、私がこれらの曲をいいと思ったのは、もとの歌を合奏やなにかで弾いたものであることも多く、歌詞をあまり意識せずにいいと思ったことも多い。とはいえ、タイトルは認識していたことも多く、言葉の影響は感じつつなのかもしれないが、しかしそれにしても旋律に強く惹かれるには違いない。
旋律ということばがいったいなんなのかが、歌と同様よくわからない気がしてきたが、メロディーという言葉が先にあったものだろうか、やはり。



他に好きな歌はなかったか。
佐野元春が最近はまたいいなと思っていたり、以前は奥田民生パフィーユニコーンに好きな歌が多かったと思っていたり、ビートルズが好きだったりはするが、少し話題から外れている気がする。
ホール・アンド・オーツの「キス・オン・マイ・リスト」が好きなのはなぜか歌の話に似つかわしい気がふとしたが、本当にそうか。さらにはスティーリー・ダンの「リキの電話番号」やら「ペグ」までもが思い出されるけれど・・・。



沖縄の歌、喜納昌吉の「花(すべての人の心に花を)」や、「てぃんさぐの花」や、「安里屋ユンタ」も好きだ。
そういえば、「島唄」を歌っていたTHE BOOMの、「風になりたい」も好きだ。



最近アイヌ文化に接する機会が多く、アイヌの歌のようなものを面白いと思うけれど、歌と言っていいのだろうか。
旋律とか歌とか、私たちは西洋の延長で言葉を使っていて、もちろん西洋の文物が今のように入ってくる以前から歌はあって、しかし、「歌」か、「唄」か、あるいは漢字をあてることもふさわしいかどうか、などとも思い始め、西洋の音楽が入ってくる前のうたを私は知っていると言えるかどうか、で、民謡や三味線の音などを思い出しては見るが、思い出せない。
江差追分というものがかろうじて脳裏に浮かんだけれどもその音を思い出すには至らない。ただ、たしか西洋のものとは違うものとして聴いたような感じを、なんとなくは覚えている。

天使と小悪魔

天使と小悪魔

さとうきび畑

さとうきび畑

日曜はダメよ

日曜はダメよ

アイヌのうた

アイヌのうた