近代西洋文化 2

『夏は来ぬ』という、うたを聴いている。
もとは、『うれしいひなまつり』が気になった。それは、「遊びをせんとや」で始まる梁塵秘抄にあるという今様に、このたびの大河ドラマ平清盛』の音楽を担当している吉松隆が付けたふしが、『うれしいひなまつり』を聴くたびに思い浮かぶので、何か共通点があるのではないかと思っていて調べていたのだった。
そうしたら「日本の歌百選」なるものが2006年に選定されていたらしい。これはいったいなんだろうなということで『夏は来ぬ』を聴いてしまっている。
ほかに気になったうたは『あめふり』『いつでも夢を』『犬のおまわりさん』『おかあさん』『おはなしゆびさん』『おもちゃのチャチャチャ』『からたちの花』『靴が鳴る』『こいのぼり』『ずいずいずっころばし』『背くらべ』『たきび』『茶摘み』『花』『みかんの花咲く丘』『椰子の実』など。
単に、よく知っているのにあまり思い出さなかった曲というものが多い。
そして「ひなまつり」と「遊びをせんとや」の共通点はわからない。
と、ここまで夕方に書いた。
少し調べて、ヨナ抜き音階という言葉は出てきたが、今様が主にどんな音階だったかも、『うれしいひなまつり』がヨナ抜き音階なのかもわからない。「ひなまつり」、短調ではあるらしいけれど。あと、この曲の詩を書いていたサトウハチローはこのうたは嫌いだったそうだが。


さっきテレビでゴダイゴが『ビューティフルネーム』『ガンダーラ』『銀河鉄道999』とアンコールとして『モンキー・マジック』と、たてつづけに演っていた。グループ・サウンズの流れではあったものの、そのコピー臭さがうすれ独特に洗練された日本のポップ・ユニットとして完成されていたという感じ、もっといい言葉はあるだろうが、感慨深い。これらの曲は1978年から79年のもの。
その前には世良政則が『燃えろいい女』をやっていた。ツイストはストーンズの影響が強いのだろうけれど、これはこれでいいのではないかと思う。これは79年。
ゴダイゴと似た感じで思い出したのはなぜかホール・アンド・オーツ。キーボードのせいか。『キッス・オン・マイ・リスト』が好きだった。81年。
こんな音楽を聴いていられたら幸せかもしれないと思うが、そうはいかない。しかし、そういう私は何者なのだろう。
これらの音楽は何なのか。アメリカで奴隷となっていた黒人のリズムや音感がアングロサクソン人の持ち込んだ西洋の音階、メロディーと混成して生まれた曲なのか。イギリス人が多かったから、音楽にはケルト文化のなにがしかがあったのか、


シンディ・ローパーが来日したという。昨年3/11に、ちょうど日本に到着したところに震災に見舞われたという。『トゥルー・カラーズ』が今では代表曲になったのだろうか。これは86年。いや、『タイム・アフター・タイム』のほうか。1984年だ。昨年震災後に帰国せずに行ったライブの映像が放送されていたけれど、『パワー・トゥー・ザ・ピープル』を歌っていた。この人はなんとなく好きだ。


朝目が覚めて頭の中で鳴り始めたのはベートーヴェン交響曲で、第8番第1楽章だった。ベートーヴェン交響曲のなかではどちらかというと好きな方ではあるけれど、それなりに不快だ。もっとさわやかな、ドビュッシーでも思い出せばいいものを。
先ほどラジオでかかっていたのはアルベニスの『イベリア』からの曲。アルベニスでもいいや。
近代西洋文化というタイトルで書いているが、ドビュッシーアルベニスはどうなのだろう。その西洋のコアなロジカルでスクウェアで単純で頑迷なものではなく何か、周辺、あるいは「外」の、豊かさやうつろいやすさを手にしたもののようではあるが、はたして信用していいものか。
チャイコフスキーはどうなのか。組曲第3番第1楽章のあのメロディーはすでに西洋的なものからの逸脱ではないかと思ったが、さて、意味のあることかどうか。

~親から子、子から孫へ~親子で歌いつごう 日本の歌百選

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