近代西洋文化 1

ピエール・ブーレーズはそういえば、まだ生きているんだなあ。もうすぐ87歳か。
なんて、誰でも乗って来られそうな、おなじみの話題・・・そんなわけはない。
ストラヴィンスキーの『プルチネルラ』の「Vivo」の冒頭と、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』の「Finale」の冒頭が似ているんじゃないかと思って、確かめてみたら思っていたほどは似ていなかった。いやでもこのベネズエラのオーケストラは素敵だ。ドゥダメルさんが音楽監督をしているというユース・オーケストラ・・・とはちがうのかな、とにかくベネズエラのなんと高校生だけのオケ?で、「オケ・コン」で、素晴らしい演奏・・・。「Intermezzo interotto」のほうはドゥダメルさんが音楽監督をしているほうの演奏がでてきた。YouTubeで見ているのです。
しかし、最近バルトークはどんどん好きになる。きっかけはフジテレビ・・・じゃなかった。キング・クリムゾンロバート・フリップバルトークを聴いていたなんて話からだったか、マンドリン合奏で弾いた曲でベースパートに「バルトークピッチカート」なんて特殊奏法があったからか、芥川也寸志の『音楽の基礎』(岩波新書)に書かれていたからか。
管弦楽のための協奏曲』では、「Intermezzo interrotto」の、第2主題とされている長いメロディーがすごく好きだ。今調べてみると、バルトークのオリジナルではないらしい。


高橋悠治茂木健一郎が2005年に対談していたらしい。お題は 「他者の痛みを感じられるか」となっている。かみ合わない対話だとか、茂木健一郎がかたなしだとかいう話題がネットで見られたようだが、はたしてなぜこんなものにたどり着いたのかというと、Google高橋悠治について調べようとして名前を入力していたら検索ワードの候補に「高橋悠治 茂木健一郎」と上がってきてしまって、それで検索すると出てきたのだった。
茂木さんのブログに音声ファイルがあるが開けず、ニコニコ動画に映像があるようだがこれもどうやって見ていいかわからない。テキストにおこした人がいて、それを読ませてもらっているがやはりよくわからないかもしれない。


その中には聞き慣れたというか、読み慣れたというか、西洋音楽に関する高橋悠治氏の見解(という言葉が適当とも思えないが)が出てくる。それは500年続いて、20世紀のはじめについに行き詰まったというようなことで、音楽だけではなく、近代的な論理があって、それに基づいているというようなことがあって、それらの言説は聞き飽きたという感じがする人が多いとは思うが、私にはともかく考える基礎のようになっていて、しかし自分で脳裏に浮かべると世の中で流布していると同様使い古された言葉に過ぎなくなっており、高橋悠治が話す文脈に置くと活きてくるようであり、しかしそれをよくよく考えるまでの余裕は今の私にない。


高橋悠治という名前も私にとっては特別だ。大学時代から、赤瀬川源平とともにいつも気にしていた。ときどき立ち返る場所のように、特に高橋悠治はよく思い出す。
茂木健一郎さんとの対談はかみ合わないことで浮かび上がるものがあって面白そうだ、が、熟読はできない。
関係があるようなないようなはなしだが、ギリシャ文明やそこで生まれた、というかそこで話されたり書かれたりしていたことが西洋文明の歴史にとって無視は出来ないのだろうけれど、ローマがあって、いろいろヴァイキングとかゲルマン人の移動とかゴート族とかレコンキスタとかルネサンスなんだとか、キリスト教があって宗教改革があって科学が出てきて、近代科学ということになって近代国家があったり、産業革命とか現代とかについては書きたくなくなってきたのだけれど、そんななかで進歩したのではなく、人間は多くなって、いろいろとまとめなければならないことがあるからしょうがないのだろうけれど、何か単純すぎる考えが良くない結果をひき起こすことが多い感じがする。気のせいだと、言われるのだろうが。
それはともかく、西洋の音楽ということで言えば、ずいぶん世界中に広まってしまって、あまりに世界中みんな同じようになってしまっている。という表現が奇異だと思われるだろうけれど、ちょっとそこから外れているものを見ると、たとえば私の住む北海道でかろうじて伝えられている、とはいえ少し前まであったからそれができているアイヌのうた(と言っていいのかどうか)や踊り(こちらのほうが言葉には合っている気がする)、器楽(ムックリくらいだろうか)を見ると、西洋の伝統と違う。以前は私にとっても何か原始的に感じられたが、今は単に(西洋式の現代の日本に流れている音楽とは)違うもの、というだけに感じられ、口承文芸の朗唱(これも適当な表現かどうかわからないが)なども含め、何かほっとするし、楽しく感じられる。


ブーレーズが指揮した演奏は『春の祭典』や『管弦楽のための協奏曲』をはじめ良く聴いたが、作曲家としての作品をよく知らないので聴いてみようと思い、『SHREDS』という曲を見つけたが、これは面白かった。有名な『Le marteau sans maître』を聴かなくてはと思って聴いている。思ったよりのんびりとした感じだ。フルートやギターの音がして、打楽器が鳴っていて、武満徹や、昼に聴いていたジョン・ケージを思い出した。これらが西洋の伝統の延長にあるものなのか、どうか、わからない。
ジョン・ケージは久しぶりに聴いたけれど、思ったより楽しくなかった。でも、『The Seasons』や『Dream』といった普通の音楽っぼいものは素晴らしいように思えた。前者は1947、後者は1948年。

きっかけの音楽

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