近代西洋文化 4

N響アワーが最終回だった。
池辺晋一郎さんの時に最もよく見た。中村紘子さんの印象もある。16年前までの3年間のことだったようで、その後池辺晋一郎さんは13年も続けていたのだ。
芥川也寸志さんが司会をしていた印象がある。学生時代のことだったろうが、時期については記録を見つけられない。にわかには。
最後の西村朗さんは3年間。そのうち2年間は仕事が忙しくなってしまって、あまり見なくなってしまった。
最終回も途中からになってしまった。最後はチャイコフスキーの5番の終楽章。リクエストが最も多かったというスヴェトラーノフ 氏の指揮のもの、15年前の演奏だ。その前はベートーヴェンの3番のやはり終楽章。指揮はブロムシュテットさん。これはけっこう良かった。3番はそんなに好きな曲ではなかった。こけおどしのような気がしていたけれど、そんなことはない。楽しい曲だ。
N響アワーが終わることについては怒っているひとが多いようだ。私も残念だ。


そういえば、中学生日記も終わったはずだ。先日、過去を振り返る番組を見た。
現実の問題に果敢に取り組んでいるが、視聴者は現実から目を背けたいのだろうし、フィクションで現実との距離感を設定することが難しかったかもしれない。しかし、現実に多く存在するはずの学級崩壊や教師のリタイアの問題は、誰が、どこで取り上げるのだろう。
いちおう私は教師リタイア組としては傷の最も浅いグループだと思う。もちろん傷がなく新しい道を選ぶひともいるだろうし、そういう傷つかなかった人たちはまた別の話だ。まあ、そういう要素は私にもあるから、少し傷も浅い。が、多くは将来の展望もなく辞めるだろうし、私もそうだ。なかなか立ち直れない人が多いだろうし、自殺する人もいる。知り合いの知り合いくらいには、そういう人が何人もいるはずなのだ。
ほかに、定年間近や定年後間もなく亡くなった方は、私の同僚で何人もいた。そうなりたくないから辞めた部分もあるので、私には卑怯な部分がある。退職後も幸せというわけではないので、報いを受けているということで納得してほしいものだ。


ピーター・バラカンのラジオで聴いたエイミー・ワインハウスという人の曲が良かった。
YouTubeでずっと聴いてみたが、その曲ほどいいと思ったものはそんなになかった。まあでも、やっぱりほかもなかなかいい。
その曲は『Our Day Will Come』。これは遺作になってしまったアルバムの中の曲。この人は去年27歳で亡くなってしまったらしい。


いくつか考えたことがあったが、忘れてしまった。

Lioness: Hidden Treasu

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