ボサノバ 1

アントニオ・カルロス・ジョビンとは誰か。


とある、けっこうどうでもいい、時間つなぎのようなラジオの番組で、ジョン・レノンと命日が同じだということでネタに使われていた。この二人ともリスペクトしている若い人が、どっちから追悼しようと迷っている、という、今思えばひどい設定なのだけれど、その時はジョン・レノンと天秤にかけられるジョビンという人は何者なのかと気になった。


場所は、あの街。雨が降っていた。夜だった。なぜあんな場所を走っていたのだろう。何か、仕事でだ。しかも、会議とかなんとか・・・。いや、違うか。コンサートか何かのために・・・。いやただ単に帰省の途中の寄り道だったかもしれない。
などということを、なぜこんなに鮮明に覚えているのだろう。


その後でブラジル音楽の魅力を知ったのは小野リサを聴いて。
今も小野リサは好きだけれど、最初の頃は夢中になっていて、こんな夢のように幸せな音楽があるとは知らなかった、などという言葉が今になって思い浮かぶような、そんな感じだった。
それはそれで実感した事なのだが、本家はそれ以上だった。


なんて、誰でも思うことだと思うのだが、そういうものでもないらしい。


いろいろな事が記憶の中で前後してしまっている。


楽譜が好きだ、というと普通のことだが、私は好きというと少し病的になるのだろうか。
金がないのに買いたいものを買わずにいられないという ことだけか。
でもどうしてそうなるかということで、頭の悪さと勘のにぶさがあるか。
とにかく、ジョビンの楽譜を見つけると買い込んだ。ほかには、モンク、ピアソラ
ピアソラはクラシックの楽譜しかなくて、高かった。
あと、バカラック


こんなことを書いても誰も読まないのに、なぜ書いているのか、私は。



本当に何年ぶりかわからないくらいにようやく、家の中をちゃんと片付け、掃除をしようとしている。一向に進まない。後でやろうと延ばしたことが、これほど見事に結局やらなければならなくなるとは、なんてことになるのは、やろうとしたことをやらなければ気が済まないという性格のためだろう。
楽譜もどう片付けていいのか、ほったらかしているものやら、なぜかきっちり納めたものやら、の、収まっているなかからジョビンのピアノ曲集を取り出して、順にメロディーを弾いてみる。
それもまた何年ぶりだったかわからないが、そんなことをしょっちゅうやっていた事があったことがウソのようでもあり、昨日のことのようでもあった。


メロディーラインがすばらしいのは、敢えて確かめる必要もなく、当然のことで、その当然のことを再確認した感じで、少しは楽器とのつきあい方が進歩したんだな、と、思ったが、それは錯覚かもしれない。