吉田秀和さん追悼

先日にもラジオでお声を聞いたばかり。先週も放送していたようだ。その度、まだご健在だとほっとしていた。『名曲のたのしみ』は、1971年から40年ほど続いていたようだ。私がはじめてFMラジオを聞くことが出来たときには、すでにやっていた。
98歳で、急性心不全で亡くなられたという。5月22日。
吉田秀和さんの『名曲のたのしみ』は、どうやら今日も放送される。


今調べると、1913年生まれ、小樽で伊藤整に英語を教わり、その頃実家には小林多喜二から訪問を受け、東京に出て中原中也にフランス語を教わり、小林秀雄大岡昇平と交流があったという。
音楽評論家というのは、正しいのだろうか。セザンヌに関する著述があり、その印象が強い。
文学にも造詣が深かったであろうに、音楽について語ることを選んだ。またそれについでではあるが、美術についても目を配っていた。そういう道を選ぶということは、どういうことなのだろう。
美術の世界に深く関わった研究者、評論家というようなひとたちがいて、例えば瀧口修造という人がいた。実験工房ということでは、音楽にも深く関わっていたのか。このひとはまた注目されることだろう。吉田秀和さんとは、少し違う。吉田さんは実践者と距離があったといえなくもない。
小林秀雄がいた。彼は文芸評論を中心としていたと思うが、『モーツァルト』でよく知られている。
もういくつか名前がうかんでもよさそうなものだが。
今存命の研究者としては高階秀爾さんという方がいる。新しい人を思い出そうとしてはいない。
阿部公正さんという方がいらした。しかし、デザインに関する仕事をされていたようでもあり、上記の人たちのようには著名とは言えない。
美術にかたよってしまった。音楽については誰が考えていたのだろう。
最近では、といっても、けっこう前に亡くなられているが、秋山邦晴さんがいたな。
花田清輝という人がいて、岡本太郎の「夜の会」・・・この人は音楽のことについて論じていたかどうかはわからない。美術の世界では、針生一郎という方がいた。私も講演・・・シンポジウムだったろうか・・・を聴きに行ったことがある。が、これ以上こういう人のことを書き始めると、まだいくらでも名前が出てきてしまう。


音楽について語りつづけていた人は、しかし、誰だろう。日本の音楽評論家ということで検索してみると、ロックやジャズ、世界のポピュラー音楽の関係の人たちがずらっと並ぶ。そういう音楽への関心もあるので、知っている。中に、畑中良輔さん、宇野功芳さん、黒田恭一さんという名前を見つけた。諸石幸生さんという名前も聞いたことがある。遠山一行さんという方も、聞いたことがある。畑中良輔さんの名をどこで知ったのか・・・新聞のコラムを、読んでいたか・・・この方も吉田秀和さんほど報道されはしなかったが、5月24日に、90歳で亡くなられている。
園部三郎さんという方は、てっきり作曲家だと思っていた・・・。
音楽学者というと、もうすこし違う名前が出てきて、クラシックの人が多いのだろう。白石美雪さんの出演する、つまりは現代音楽を取り上げたラジオ番組を聞いた印象は声とともに強く、ただし内容を特に覚えているわけではないが、最近はケージに関する著作を買ってしまったが・・・。岡田暁生さんの本は読んで、面白かったような記憶がある。クラシックの話をしているようで、ふさわしいかどうかわからないが、小泉文夫さんを忘れるわけにいかない、といって、それを書いたからどうということもないのかもしれないが・・・。


私が普通の人が読まない芸術論みたいなものをそこそこ熱心に読んできた、という事が、いちおう彫刻をやってきた、という事と関わり、意味があったかどうか。


ゴスペル音楽の先生、非常に多くのお弟子さんを抱えるが、まだ若い女性のナナ・ジェントルという人が先日テレビに出ていて、と、なぜここでこんなことを書くのか、ブルースなどとともにポピュラー音楽に大きく影響しているこのゴスペル音楽が、20世紀前半、1930年代に生まれたばかりであるらしいということが不思議に思われたのだけれど、その頃はまだラフマニノフは生きていて、今日の『名曲のたのしみ』はラフマニノフの、何回目だろうか・・・。
ゴスペル音楽というものは、非常に活き活きとしていて、しかし、宗教と深く結びついている。そのことで、ナナさんは苦しんだこともあったようだ。
クラシックとは・・・たとえばバッハやブラームス、現代音楽に近い人の作にも宗教曲はあるが、そういえばゴスペルは福音であって、プロテスタントのもののようで、そういえば、バッハがルーテル派であったと言ってよかったのではなかったか。ルターは、自身がコラールを書き、それをもとにして、バッハはいくつも作品を作っている。
てなことを、吉田秀和さんはどこかで話したものだったろうか。どちらにしても文脈は違うな。


クラシック音楽を聴き続ける必要などあるだろうか。そもそも聞く必要があると思っていなかった私が今聞くのはクラシック系の音楽で、そこに現代音楽も含んでこそ、だ。
それは何かというと、芸術としての音楽なのだろう。ほかに定義もあるだろうが。
美術で言うと、イラストレーションではない、タブロー絵画が長らく芸術の主流だった。と、書いた途端になにを書いているのか、とわからなくなる感じもあるが、しかも、芸術とは何かというと、絵画を中心に指している(時代が直近では長く、その流れは今も消えていない)、という表現がややこしいのだが、「アート」と、外来語で書いてみると、美術館にある美術をイメージすると、最もしっくり来るだろうし、彫刻が絵画以上に話題に、あるいは実際に目を惹きつけることをイメージすることは、難しく・・・そこにさらに難解な現代絵画を持ってくると、さらに芸術というイメージがくっきりしてくる。
芸術とは何か、という答えの理屈として正しい答えにはなっていないが、ある種の正確な認識でもあるだろう。もちろんある種の音楽、建築、舞踊、演劇、文学、映像表現、デジタル世界のなかでの表現、等々で芸術的な表現は展開しうるし・・・。
などという事を考えるのは、グリーンバーグ著作集なんてものを読んでいるせいなのだけれど、と、ずいぶんややこしい話になった。


しかし、吉田秀和さんがクラシック音楽のみならず絵画、しかもセザンヌなどを中心に話題にしてきたということは、芸術概念の形成と変転、そのなかでクラシック、音楽というものの特殊なありよう(もちろん絵画も特殊だ)が関係していたはずであり、それは、私や、社会にとって意味があること・・・。


とはいえ、いつか吉田秀和さんの著作を、今まで買っていたもの以外に開く機会があるかどうか。あるいは、そのかわりに誰かの著作を開くのだろうか。

私の好きな曲―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

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