おたくかな2

私の年齢は39なのだが、高校生の頃アニメファンだった。「おたく」という言葉が聞こえ始めていた頃だ。「おたく」のひとたちは「おたく」という2人称をつかうので「おたく」と呼ばれ始めたはずで、2006年現在そんな由来はほとんど思い出されることもなくなったが、そうだったのだ。私はそういう意味で「おたく」であったことはないが、40歳を前にした現在でもアニメ好きでマンガ好きだから「おたく」っぽいにはちがいない。
しかし今では「おたく」という言葉は「マニア」という言葉の似て非なることばとして流布しており、「オタク」「ヲタ」などと言う言葉が蔑称となったり尊称(?)となったりしながらつかわれている。おたくらしいおたくといえば「アニヲタ」から時代が移り「ゲームオタク」も加わり、それに近い雰囲気のマンガ(そういう雰囲気がほとんど感じられないマンガを除く)までなのだろうが、たとえば「モーヲタ」などというのは「アニヲタ」以上におたくっぽいかもしれないが「アイドルおたく」よりなにかアニメっぽいがしかし当初の「おたく」とどう関係があるのだろう。
鉄ヲタ」など、情熱を傾ける対象は「おたく」っぽくもなんともない。切手集めのほうに近いイメージがあるが、しかしなにかすごく「おたく」っぽい。本当は「マニア」のほうがただしいよね。でも「男子の趣味」で、中途半端な長髪メガネのイメージでは初期「おたく」のイメージにぴったり。


そういう私もメガネで、ど真ん中ではないがぎりぎりそういうイメージの範疇の高校生だった。しかし実は高校1年の頃にはなぜ高校生にもなってテレビマンガなどに血道を上げねばならないのだ、しかもロボットマンガとは片腹痛いと思っていた、あまつさえおたくの対極のロック好きだったのに、なぜかおたくになってしまった。いや、当時はアニメファンであることは事実であるから認めるしかないがおたくではないと思っていたが。
その原因は「未来少年コナン」が大好きだったからだった。周囲の、やはりアニメファンであることは自負しつつも「おたく」なんかではないと気負っていたような同級生らが「ルパン三世カリオストロの城」なんかの上映会をやっていて、それはもう面白かったのだ。
というところまで思い出したのが「宇宙戦艦ヤマト」や、「銀河鉄道999」も、大好きだったということで、しかしこれらは「おたく」でなくてもみんな見てたじゃん。小学生から大人まで。さかのぼると「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「フランダースの犬」「あらいぐまラスカル」なども見ていたな。さらにさかのぼると「海のトリトン」「みなしごハッチ」「科学忍者隊ガッチャマン」「タイムボカン」「一休さん」「まんが日本昔ばなし」「ムーミン」あれあれなんの話しだろう。際限なくなってきたな。
そんなふうにテレビはふつうにワクワクして見るものだったな。「太陽にほえろ」も、「探偵物語」も。「水戸黄門」も。お金払うものではないし。


そんな私が熱中し、お金を払っても惜しくなかったのはマンガで、フォーク、ニューミュージック、ロックといった音楽だった。
マンガではなぜかずいぶん昔の作品を書店の棚の中から復刻版で見つけた「ストップ!にいちゃん」が、はじめての私だけのお気に入りで、つづいて人なみに「マカロニほうれん荘」「じゃりン子チエ」までの3作がアニメファンになる前のお気に入りだった。
音楽では小学生の頃に知ったアリスとビートルズから、中学生の頃にはフォーク/ポップ/ニューミュージック(今でいうJ-POP)系ではチューリップ、オフコースかぐや姫、中学卒業の頃には洋ものロックではニューウェーブに行きエルヴィス・コステロXTCテレヴィジョン、なぜかプログレの歴史をさかのぼってキング・クリムゾンピンクフロイドすげーなどとも思っていた。


なのに。


ガンダム」が好きだという同級生をおかしいと思っていた、「未来少年コナン」はSFだけど、「機動戦士ガンダム」は、ロボットマンガだろ、と思っていた中学生の頃の自分を恥じるのは、最近になって漸くだけれど、「カリオストロ」を教えてくれた同級生らが「ガンダム」のひとが作っているものだとか言っているのを聞いたせいか半信半疑で見た「ザブングル」の面白さに惹かれてさんざんやっていた「ガンダム」の再放送を見て熱中した。続いて「ダンバイン」「エルガイム」「Zガンダム」「ZZガンダム」というところで高校を卒業したのだったな。
当時は安彦良和氏が富野氏とは別行動(?)になっていて、劇場作品「クラッシャー・ジョウ」、テレビシリーズ「巨神(ジャイアント)ゴーグ」といった作品を作っていた。全部見ましたよ。一巻2,500円もしたビデオテープを買って録画さえしていた。
ガンダム」「ザブングル」が面白くても、トミノさんには付いていけない感じがした。だから安彦さんはトミノさんから離れたんじゃないかなんて思っていたかな。
それよりなにより、「ナウシカ」マンガ版の衝撃が大きく、それがアニメ化され、期待してはいけないいけないと思いつつ期待しすぎで作画から音楽まで隅々まで堪能してさえいたのに不満が残ったりしていた。なにしろマンガの世界観の一部しかつかわれず、物語も表層的に思えたので。しかし、今となるとマンガと映画という全く異なった媒体、制作形体なのに、よくもあれほど矛盾を最小限に留めたとさえ思えるが。

というように富野、安彦、サンライズ作品に耽溺しながらも私は「ミヤザキにはおよばないな」などと思っていた。実際に富野、安彦両氏自身もおそらく巨大な才能に太刀打ちできない無力感を感じていたに違いない。しかし、今になって、安彦氏の宮崎氏と全く違うアニメーターとしての魅力を感じ、富野氏の世界との関わり方への共感を覚え、「世界のミヤザキ」と、比較する必要もない優れた才能が「ガンダム」で、結集していたことを、まざまざと感じている。


というようなことに、40を前にして、なっている。