「天才バカボン」

天才バカボン (3) (竹書房文庫)

天才バカボン (3) (竹書房文庫)

マカロニほうれん荘」について思い出し、吾妻ひでおが再び気になり、赤塚不二夫についても気になっていた。特に「天才バカボン」。
これをマンガで読むと言うことは考えたことがなかった。私にとってはテレビアニメ版「元祖天才バカボン」こそ「バカボン」であって、「もーれつア太郎」にしても「ひみつのアッコちゃん」にしても、さらに言えば「マッハGoGoGo」や「ど根性ガエル」、「巨人の星」も、「エースをねらえ」も「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」にしてもそうだ。マンガ原作があることを知っていたかどうかすら、覚えていない。
変わったのは実は「サーキットの狼」からで、テレビアニメの放映はなかった。だが、これはスーパーカーブームに熱中したついでというだけで、自分では1冊か2冊買った程度だったはずだ。その前に「ストップ!にいちゃん」というマンガの、たぶん復刻版を、書店の本棚から見つけてすごく気に入って集めていたと言うことがあったが、これはちょっと別格で、小学校4年で耳鼻科の病院に通うことがなければ、その近くの書店でこの本に出会うこともなかった。今でも好きな作品だが、これはマンガの歴史の追体験と言った感じだ。
ふつうに、友達などから知らされてマンガの本に熱中し、自分で買ったのは「マカロニほうれん荘」だった。しかし、そのようにギャグに引き込まれたのには、テレビアニメ版「元祖天才バカボン」を見ていたことが素地となっていたと思う。「ど根性ガエル」も好きだったが、「バカボン」ほど爆発力はなかったはずだ。「もーれつア太郎」は、存在を知っていたくらいだ。「元祖天才バカボン」の前に、単に「天才バカボン」と言うシリーズがあったのはいちおう知っていて、これを一度再放送で見たときは「「元祖」のほうがいいな」と、思ったものだった。「はじめ人間ギャートルズ」、「いなかっぺ大将」なんてのもあったが・・・。テレビにおけるギャグマンガの金字塔は「元祖天才バカボン」だろう。「うる星やつら」も、これを超えられたかどうか。
テレビの印象が強すぎてマンガのことは忘れていたが、大学卒業の頃に当時の従来タイプの古書店でマンガ版を立ち読みしたときに、ちょっとしたショックを受けていた。それからこの度ある程度まとめて読むまでに17年ほど経ってしまったが・・・。


現段階では、鴨川つばめ作「マカロニほうれん荘」という、私にとってのギャグマンガの金字塔の登場を用意した作品は、赤塚不二夫作「天才バカボン」だと思っている。
マカロニほうれん荘」が、映像的、情緒的なのに対して、「天才バカボン」は、記号的、観念的だ。共通するのは、実は両方とも大変知的、実験的なところだろうか。今からふりかえって、どちらかが新しいという感じはなく、しかしたとえば美術の世界で言う「スーパーフラット」というような現代的な感じは赤塚不二夫の「天才バカボン」のほうにあるかも知れない。
記号的なマンガキャラクター・デザインとしては藤子不二雄の「ドラえもん」と並んで日本漫画史上の頂点かもしれない。少なくとも造形的には。パパ、バカボン、ママ、はじめちゃん、目ン玉つながりのお巡りさん、レレレのおじさん。
ママが思ったよりつまらない性格なのだけれど、なにか、とても素敵だ。変なお父さんにまともなお母さんというと、後の「じゃりン子チエ」も思い出させるが、ある種のユートピア的なモデルといえるかも知れない・・・。ジェンダーの話しにからんでしまうと、困るのだが。というわけで紹介画像は3巻の、ママとはじめちゃんのものにしてみました。
実はその紹介した竹書房版の文庫本の表紙にちょっと感激してしまって、逆に痛んでいる古本は買う気にならなかったのだが、この文庫版のデザインは祖父江慎さん。この色彩で、村上隆のような技法でタブローに仕上げたら、リキテンシュタインを超えられるのではないかとさえ思う・・・。そんなタブローがある空間は、素敵だろうな・・・。と、いうような連想は趣味的にすぎるけれど、この「天才バカボン」の絵柄は極めて洗練されていると思えた。ほとんどどのコマをとっても、拡大してしっかり展示すればほとんどのポップアートの作家の作品などやすやすと凌駕できる。海外でのジャパニーズ・オタク・ブームでもてはやされる趣味的な絵柄は、つまらない。こちらがはるかに普遍的な・・・。

ただ、すごいとは思うのだけれど、逆にすごい故に付いていけない感じもある。吾妻ひでおが、案外赤塚不二夫に近いのではないかという気がしてきてもいるのだが、こちらの共通点は実験性だ。なにをやってもいいのだ、ということを最も押し進めたひとりが、吾妻ひでおだと思うが、それ以前の赤塚不二夫もかなりすごく、テレビの「バカボン」のイメージでマンガを読むと凍り付くような場面も多いかも知れない。
シュールな点と、あとは残酷なところだ。これはどちらも「バカボン」の巻が進むほどエスカレートしていく。谷岡ヤスジなどもそういうところがあるかもしれないが、鴨川つばめは、実はかなりこれらの作家に比べて優しいかも知れない。ある種「いじめ」的な表現は鴨川つばめのものに出てくるのだが、赤塚不二夫はそれどころか本当にどんどん殺してしまうのだ。永井豪の「オモライくん」でも、どんどん登場する人物が死んでしまうが、「バカボン」ではある意味さらに必然性がない。松本零士の「聖凡人伝」ではどんどん自殺するが・・・。
私は連載当時に「まことちゃん」と「がきデカ」が嫌いだった。いまはもうそんなことはないだろうが、まだ読んでいない。これらを読んでみないとわからないところもあるが、鴨川つばめがそれ以前の作家より優しいと言うことには、時代の大きな流れを感じられるような気がする。この2作の作家は鴨川つばめより上の世代だったような気がするし、「マカロニほうれん荘」の次の世代のギャグ作家となると、「すすめ!!パイレーツ」「ストップ!!ひばりくん!」の江口寿史ということになるだろうが、この2作はもちろん、これよりちょっと「えげつない」この後の作品にしても、吾妻以前の作家より優しい。いったいこれは・・・。


こんな名前をどんどん挙げてもうひとつ思いついてしまうのは、赤塚不二夫をアル中と言っていいのかどうかわからないが、飲んでテレビに出ていた姿が思い出せること、吾妻ひでおの失踪と、こちらは本当にアル中だったこと、見事に生還したけれど・・・。鴨川つばめのリタイア、江口寿史の遅筆、原稿を落とすことで有名なところ・・・。
これらの作家に共通するのはクリエイティビティと、大衆性の両方をギリギリまで追求した点かも知れない。吾妻ひでおに大衆性のイメージは少し欠けるかも知れないが、おそらくエンターティンメントであることを忘れていない。
と、ここまで、「バカボン」で話しを広げてしまうのもやりすぎであったような気もするが。