カート・ヴォネガット追悼

このひとのことを結構忘れていた。しかし、時折思い出していた。
早川書房から出ていた文庫本を、買っていない物を見つける度に、必ず買っていた。そして次々読んでいたが、そのうち読むのが買うのに追いつかなくなっていた。さらに読んでいないものが残ったまま、いつか読まなくなっていた。なかなか書店で見かけなくもなった。それから10年くらいか。時折その残った幾冊かの一冊を読んだが、10年間に2冊くらいか。
最近はさらに、書店の翻訳小説の棚を見ることもなくなり、それ以前にブンガク類に触れることも少なくなっていた。最後にブンガクに触れようと買ったのは保坂和志氏の「カンバセイション・ピース」だったか。それも、出てから数年して。さらに、1/5ほどで止まっている。最近堀田善衞だけは読んでいるが、ブンガクとしてでもない。


カート・ヴォネガット氏のことを思い出すのは、もっとずっと多かった。
思えば、この世界の悲惨さと、その悲惨さとのつきあい方とは、この人の小説から最も多く学んだかも知れない。このひとの著作もブンガクとして読んだわけではなかったかも知れないが、私にとってブンガクとしても最も好ましい読書だったかもしれない。
それにしては芸のない日記の類をいちおう「公開」してしまっているが。


このひとが長生きしてくれたのはうれしかった。けっこう晩年まで著作を続けてもくれた。
このひとには「さよなら」としか言わない方がいいようだが、「さよなら」ということが私に相応しいかどうかもわからない。