アンサンブルの演奏会

昨日、マンドリン、ギターのアンサンブル、ソロ中心の演奏会に行った。
曲にあわせた編成か、編成にあわせた曲か、様々なかたちの編成、流動的なメンバー?
多彩な選曲、構成、ルネサンスの(リュート?)曲やバロックから現代のギター曲まで、クラシック志向かというと日本のマンドリン界で流行り目の作曲家の曲もやっていて、いろいろと目配りしていること・・・。
ある種スタイリッシュな感じだろうか。マンドリン用に書かれた曲には構成感がはっきりしないものが多い気がするが、そのような曲は少なかった感じがする。

会場は琴似、夕方の琴似のリラックスした感じ・・・これは本当にひさしぶりの感覚で、苫小牧では感じられない開放感に嫉妬も覚えた・・・。


演奏を聴いていて、知らない曲の音を追っていくことの楽しさを感じた。楽譜になっているものを、ステージにいる人が一生懸命、あるいはデタラメに・・・?さらって、今まさにそれが音になってあらわれる。
音楽は単に現れては消えていく音の流れではない。記憶の中に残っているいままで聴いてきた音と、今演奏されている音との関係がコンポジションによって際立つ事の驚きが、私にとって音楽の最大の喜びだ。旅の道のりがあってこそ風景の美しさがしっかりと心に刻まれるように・・・といっても今そんなことを思い付いたんだが・・・。「コンポジション」なんて言っても、私の能力ではいくつもの声部を追えるなんて事も、構成を記憶して見通せるなんて事もなく、無意識が音楽のロジカルな部分を感じ取っているはずだと思っているだけだが。それを楽しむ事が、脳のなかの論理配列を修正してくれるような不思議な体験をできた。気持ちがいい。

ルネサンスの・・・でいいだろうか・・・イギリスのダウランドという作曲家はちょっと気になっていた。特有の渋い感じの(と私が思っている)音の連なり、絶妙な展開。曲の「コンポジション」では演奏会中最も優れている気がした。それがたぶん最も古い曲とは・・・。同じ奏者のトゥリーナという、お馴染みの(?)スペインの作曲家の曲は、楽器を生かした奏法など耳をひらかせてくれるものの、繰り返しが一度目に現れたときより新鮮には思えず、「あ、繰り返しだな」と確認するだけの感じになり、それはダウランドのファンタジアを聴いてしまったあとだからだと思えた。
テレマンは思いのほか面白かった。ドラ、ドラ、ギターというテノール3人(?)アンサンブルの音の響き、2本のドラの響きのおもしろさ・・・マンドリン系統の楽器によるアンサンブルにはまだまだ可能性がある。「ドラ」という楽器自体の印象が変わったのは編曲のためか、楽器のよさのためか、奏法のためか、それらすべてのためか。あるいは私の不明のためか。
私にとって当日の白眉だったのは、ヒナステラという現代のアルゼンチンの作曲家のものだという、ギターソロの曲。特殊な奏法も、奇を衒ったのではなく必然性を感じられるように演奏されている。あるべき音があるべき手触り、大きさ、タイミングで現れているように私には聞こえた。余計なものも、足りないものもなく、磨かれた演奏。かといって窮屈ではなく、聴衆の共感できるものだと思う。奏者は弾く前に難解だと言ったし、一般的な聴衆もいる(だろう)前で、唐突な印象を与えないためにはそう言って良かったとしか思えないが、そんなに難解とも思えなかった・・・案外現代人は映画音楽などで前衛表現に接しているかもしれないが・・・しかしそれよりも、いい曲でいい演奏だったからこそそう思えたのでもあるだろう。コンポジションダウランドと並んで優れている曲のように思えた。


そうだ、私も出演したかもしれなかったのだ・・・。それで、何となく居心地が悪そうな演奏会に行ったのだった。実際はそんなことはなかったが・・・。
身内びいきは否定できないが、仲間の演奏も予想より良かった。危惧したほどには引け目を感じるものではなかった。2曲がメンバーの自作曲、さすがに「コンポジション」が特別優れているとは思えないし、感情的な要素が強い事への不満を常々感じているのだが、何か最近「実はけっこういいんじゃないか」と思えてきている。ついに洗脳されたのかも知れないが。
その曲の当日の演奏も、予想よりずっと鮮やかに響いたな、という感じ。目的は達成したんじゃないか。何が目的だったかはともかく。
私たちのアンサンブルのメンバーは、私を始め、そんなに自信のない人間の集まりではないかと、ふと思った。才能も特別というほどではない(特に私は楽器が下手だ・・・)。努力する余裕もそんなにない。実はそんなに仲も良くない(私だけか)。しかし、そのマイナスが集まってプラスに転化する事もあるのかという気がしたが、私という大リーグ養成ギプスがはずれた瞬間の輝きだったかも知れない。
ほかの出演者は若く、ゲストのようだった私の仲間たちは10才ほど平均年令が高かったかも知れず、よくそれを気に病まなかった、とほめてあげたい。聞きに行ってよかった。


演奏会への不満。不器用なものが人を惹き付けるような魅力が全体に希薄だったかも知れない。スマートに生きているひとたちのスマートな演奏会・・・団体(?)名からするとそんなつもりではないのだろうが・・・何ごとも気に病んでしまうような私にはちょっと馴染めない感じがないわけではなく、モンクやサティ、あるいは民族音楽などに感じるような魅力には少し欠ける気もした。
しかしある意味最もスマートな演奏だったかも知れないヒナステラに案外ある種の・・・不器用じゃないけれど・・・ゴツンとしたものを感じたかも知れず、やっぱり楽しかったな、と思い返した。そういえばこの団体ではバルトークなんかも取り上げていたらしい。

(6/16に推敲しています)