芸術について3

「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」という曲をなぜだか思い出した。ダイアナ・ロスがいたことで知られるシュープリームスの曲。彼女は生きているのだろうか。調べてみたら64歳でご健在か。フィル・スペクターがプロデュースした曲としても有名なのではないか。ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」などのように。フィル・スペクターは? まだ68歳。ジョン・レノンジョージ・ハリスンも、もうこの世にいないのに。
なぜかバート・バカラックの「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」を思い出したがなぜだろう。これらはみんなラヴソングなのだろうか。そう言えば女性ボーカルの曲ばかりだろうか。バート・バカラックは80歳!

"Stop in the name of love"を翻訳サイトで訳してみたら「愛の名にかけて、止まってください。」ふーん。
歌のうたわれる調子からすると、「止まって!愛の名にかけて」・・・ふーん。

昼間、仕事に関連して大きな写真を作る話をしていたら、映画の看板描きの話になり、もうやるひとがなくなるからと、私に修行したらどうだと社長が言う。もちろん冗談ではあるが、そういう仕事が消えることを惜しんでいる気持ちがあるのも確か。
それは社長の人柄もあって腹立たしい冗談ではないが、美術学生だったときの「ゲージュツカ」になろうと思っていたような流れからすると冗談でも考えられなかったことではある。それは看板描きの方に失礼なようでもあるが、もちろんそういう仕事を軽んじているわけではない。「ゲージュツカ」になろうと思うような奇特な考えからは遠いというだけのことで、その当時は看板描き以上に、「デザイナー」になることを、考えられなかった。高校生時代に油絵を描くまでは、「ゲージュツカ」などといううさんくさいやくたいのないものよりは「デザイナー」のほうがよっぽど好きだった。
工業が好きな理系学生だった私はプロダクトデザイン、ことにケンチクカにあこがれていた。しかしご多分に漏れずグラフィック・デザインにも関心があり、田中一光さんなどが好きで、なんという厳しい好みか。今考えると、だが。
細々とデザインには関心があった。デザインとは何か、個人と社会と自然、この三者、三角形の間に生じる矛盾を解決するのがデザインだというようなことを言ったのは今は亡い母校のデザイン研究室の教授で、特に学生時代には細々さが糸のようになり、デザイン・工芸の講義は必修科目しかとらなかったのだが、学生時代のもっとも印象深い言葉として折に触れて思い出す。政治がデザインの発想で行われたなら、とかいうようなかたちで連想する。

と、いうようなものでもなく、「ゲージュツ」でもなく、上記のフィル・スペクターの曲などは「エンターテインメント」だと思ったが、「街角のエンターテインメント」とでもいうべきものが映画の看板描きであったり、音楽の場合はチンドンヤだったりするのだと思った途端に、何か目の前が開けてくるような感じがしてくる。
チンドンヤでなぜか沖縄の照屋林助氏を思い出した。3年前に亡くなられている。76歳だったようだ。知らなかった。「ウンタマギルー」という映画に出演しているのを見てから気になり、そのうちテレビで特集されているのを見て取り憑かれたように凝っていたことがある。「平成ワタブーショウ」というアルバムシリーズから1枚と、登川誠仁氏との「ハウリング・ウルフ」をかなり聞きこみ、著書「てるりん自伝」を買ったけれどなぜかなかなか読み進められなかった・・・。
「エンターテインメント」の活力は「ゲージュツ」と必ずしも矛盾するわけではないとふと、思った。しかしそれはいま、街角では死に絶えているという気もしたのだ。
「エンターテインメント」はショーバイと矛盾するものではないのだろうが、ショーバイは「エンターテインメント」にとって必ずしも本質的なことではなく、「ゲージュツ」もまたそうかもしれないと思う。それどころか、仕事にとってもショーバイが本質的ではなく、シホンシュギということにおいてカヘイが社会の血液になっているのだろうし、ショーバイという心臓の鼓動で社会はエネルギッシュに動くのでもあろうけれど、高脂血症になってからだの隅々に血液が回らないのだろうと思う。
良質の「エンターテインメント」は血液さらさらにしてくれそうだなどとなんともイヤラシイたとえだなあと思うが思った。で、「ゲージュツ」のほうはなんなのか。

シュープリームスフィル・スペクターのプロデュースではなかった。モータウン・レーベルで、モータウンといえば、スティービー・ワンダーで、ジャクソン・ファイブで、マーヴィン・ゲイだ。ただ、フィル・スペクターの影響は受けたと言われてもいるらしくそれを聴いた私は勘違いしていたようだ。

※タイトルが「芸術について3」なのは、ミクシィに1と2があるため。