プッチーニ

プッチーニはかなり苦手な作曲家だった。
オペラは好きではなかった。タモリ氏の言うことは分かるような気がしていた。


クラシックは、現代音楽とブラームスへの興味という形で、「コンポジション」への関心として聞くようになった。
ブラームスへの関心は最近またよみがえってきていて、頭の中で交響曲一番の第二楽章が鳴り続けたりもしている。・・・あまり関係がないな。
ドヴォルザークチャイコフスキーが好きなのだけれど、このことをどう自分の中で位置づけていいのか。
ドビュッシーバルトークが自分の中ですんなりと位置づけやすい。サティは?
そして、バッハが何か異質なものとしてうかび上がる。
パーセルや、バード、ダウランド、あるいはモンティベルディ・・・さかのぼってオケゲムなども格別に面白く、それぞれつまみ食いしている程度しか聞いていないのだけれど、現代クラシック音楽とそれを聞き、バッハ・・・なんだろうな、と、思う。
またロックや歌謡曲のそれなりのではあるがヘビーなリスナーだったり、民族音楽やいわゆる「ワールド・ミュージック」、現在の世界のポピュラー音楽を聞きかじったりして・・・いわゆるクラシック、古典時代のクラシックが「ポピュラー音楽に」与えた甚大な影響みたいなものを感じる。こういうこととはちがうが、アドルノが何か書いていたと思う。
で、バッハはかなり違う。
バッハが古典時代を準備したというのは、そうであり、そうでもないようであり。「フックト・オン・クラシック」というコンピュータのリズムに乗せたクラシックのシリーズに深い嫌悪感を感じ、特にバッハは嫌だったし、ジャズミュージシャンがやるバッハというものも、今のところあまり好きではない・・・何を書いているんだ・・・。



オペラのたぐいは、とにかくビゼーが好きで、ヴェルディも悪くないじゃないか、といったところで、食わず嫌いはいけないなと思っていた程度。ワグナーは嫌だなあ・・・「楽劇」らしいけれど・・・。慣れればいいのかなあ・・・。マーラーも・・・オペラのたぐいではないけけれど。
プッチーニは「親しみやすいもの」と受け取られていたようだが、私には違った。ビゼーヴェルディドヴォルザークチャイコフスキーが古典的に感じられるが、プッチーニは違うことにも気付き始めた。1858年〜1924年に生きていたのは、ドビュッシーと4歳、シェーンベルクと16歳、バルトークと23歳違いでしかない。
イタリア・・・レスピーギが21年あとにうまれたらしい。ヴェルディの、45歳あと・・・ヴェルディは20世紀が始まった頃まで生きていたとは・・・。

プッチーニについては、荒川静香さんがトリノで「誰も寝てはならぬ」を使って以来気になっていて、それは少しずつふくらんできている。あの、旋律、たゆたう「線」は、なんなのだろう。ビゼーヴェルディではもっとリズムや単純な構成が支配的だったように感じる、というのは浅はかなのだろうが、実はそこから逸脱する、たとえばカリグラフィックな線の魅力。
Wikipediaでちょっと読んでみるとオーケストレーションに関するシェーンベルクとの親近性すら語られていて、上記の「線」に、目立たないが精妙な色彩が施されているという印象を受ける。音楽を聴いて受けた感想ではなく、当を得た表現かどうかはわからないが・・・。


実は、これらのことは、美学的に(?)自分が(おそらくかなり浅はかな)モダニズムを生きてきたことをあぶり出し、それを揺るがす感じを与える。
クレメント・グリーンバーグの評論を書店で見かけ、フォルマリズムについて考えなければならないかな、と、感じている・・・かなり類縁性の低い問題のようではあるけれど、何故か連想された。