病んだ魂19と、モンクなど

先ほど車のラジオでテイ・トウワさんというひとのあたらしいアルバムの中の曲が流れていて、ちょっと面白かった。今ミクシィで読んで細野晴臣さんが参加していることを知った。ますます面白そうだ。ところで、「さん」づけはウザいだろうか。
ミクシィにはコミュニティというものがあって、コミュニティなどといっても活動はそんなに盛んではないようでもあり、私のようなROMの人が多いのだろう。だから容易に入れる。そんな細野晴臣さんのコミュニティの新着記事にあったのだ。


先ほどまで、NHK教育テレビアルツハイマー病研究の新しい成果について放送していた。
かつてほどガンを恐れる必要はなくなってきた。アルツハイマー病は、違った意味でガンより恐ろしい。主に脳だけが死んでいく。身体の衰えもある程度は伴うであろうけれど、そうして生きている状態は、いったい私が生きていることになるのだろうか。しかし、アルツハイマー病も、現在のガンのように、次第に予防、早期発見、治療の途が開けると思える。
ガンなどが克服されていき、不健康でも長生きできるようになってきて、不健康な人ほど、また高齢であるほどアルツハイマーのリスクは高まるために、発病率が高まっているという状況なのだろう。そうしてクローズアップされ、しかし、克服されようとしている。人類はすごい。
とはいえ、私は極めてアルツハイマーのリスクが高いタイプの生き方をしてしまっていると思える。運動不足で2倍以上リスクは高まる・・・という言い方はしていなかったが、適度な運動をしているひとの罹患率は40%程度・・・ということは、そういうことになるだろう。脳の血行が悪いということも関係していると思う。新陳代謝、免疫、等々、すべての値はさほど良くはないだろう・・・私がウツに近い状況になったのには、自分の認知能力が低下したという実感も関係がある。これはしかし、ウツになると記憶力などの能力が低下するということもあり、どっちが先かは分からない。自分も若年性のアルツハイマーではないかと疑い、今もその疑いは持っている。どの程度かは分からないが、明らかに認知能力、記憶力は低下している。私の海馬はなんらかのかたちで損傷、あるいは機能が低下していると思っている。たとえば睡眠時無呼吸や血行不良などによる酸欠などのために・・・。
そのウツに近い状況の中で、アルツハイマーに関するいくつかの話に触れた。アルツハイマーの配偶者の方を看病し、最期を看取られた方の書いた本の編集にも関わった。映画監督の岡本喜八さんのドキュメントもテレビで見た。若年性の方のドキュメンタリーも見た。能力が衰えていっても、精神のコアの部分は失われないように感じられたが、少なくともここに挙げた3つの例の方々は、配偶者の方との人間関係が極めて濃い方々であった。そういう連れ合いの方が亡くなっていたり、そもそもいない状況で発病されるというケースのほうが多いだろう。それでも、精神は保たれるか、ということは、各地で患者の方々と日々向かい合っておられる、介護に従事しているみなさんが、ある程度、知っておられるだろう。


コミュニケーションのより理想的な状況について考える。
そんなことを考えるのは、現在私がいくつものコミュニケーションの膠着状態を招いてしまっているからだ。
1/24に「病んだ魂17」で書いた中にあったような「対人関係を崩す“癖”」が、以前より悪くなっているかもしれない。さらに、対人関係が損なわれること、うまくいかないことに今まで以上に耐えられなくなっていて、しかし、その“癖”を直す術には思い至らない。現在私がいくつものコミュニケーションの膠着状態を招いてしまっていると「思っている」ことは、むしろ悪いかも知れない。
「コミュニケーションのより理想的な状況について考える」ことは、悪くはないと思ったが。
と、いうような、自己への過度な客観的な姿勢(?)がおかしい? あるいは、自分に客観的になるのはいいとしても、それが過度に批判的、かつ視点が近すぎるのがおかしいのだろうか。それは、私が基本的に社会や他人に対して批判的なことに公平性を保とうということのようだけれど・・・。では、特におかしいのは思考のタイミングと視点か?


急に、自分がセロニアス・モンクが好きだったということを思い出した。昨日の晩だったか、今日の朝だったか。忘れていた。一番好きな作曲家だったかもしれないのに。
うかんだメロディーは、「バイヤ」だったかな。今、CDの棚からモンクのとアルバムを全部取り出してきて、「モンクス・ミュージック」を、かけて・・・てっきり、「ウェル・ユー・ニードント」だと思ったんだけれど、違った・・・「オフ・マイナー」かな。
マンドリンで、モンクをやれないかなと、考えていたことがあった。あとは、サティ・・・今みたいに、ずっと楽器を続けることなんかないだろうな、それどころか、もうマンドリンをやることもないかもしれないとさえ思っていた頃、もしかしたら、昔の仲間と何かやることがあったらと思って・・・カルテットに毛が生えた程度の編曲で「ノクチュルヌ」をやろうと思って、せっせと楽譜を作った・・・それは後に今の仲間と一度試しに弾いたかな・・・その時に同時に「天国の英雄的な門への前奏曲」も作り始めたが、これは、何年かに一度は引っ張り出し、去年はパソコンでちょっとやったけれど・・・。あと、最近「最初のメヌエット」を4重奏でやってみたけれど即却下された。かなりへこんだ・・・。
サティは、北海道のマンドリンオケでもとりあげられていて、2度聴いた。ひとつめはかなりゴキゲンで、もうひとつは、聴いてかなり滅入った。
私自身は仲間内のカルテット大会で、ギターといっしょに「グノシェンヌ」の1番と、「最後から2番目の思いつき」の2曲目をやったことがある、と、思ったが、「最後から2番目の思いつき」・・・私がその時に使ったはずの藤井真吾さんの編曲によるギター2重奏の楽譜集にはない・・・夢だったか。
ではなく、モンクなのだけれど、サティと同じくらい真剣にやりたいと思い続けていたのだけれど、なぜか最近忘れていた。完全に忘れていたわけではなく、「パノニカ」をちょっと4重奏に作りかけてみたりしたのだけれど・・・何でこの曲がいいと思ったんだろう。
「モンクス・ミュージック」、好きなアルバムだと思っていたんだけれど、久しぶりに聴いてみた感じは記憶とかなり違う。「ルビー・マイ・ディア」の、コールマン・ホーキンスの演奏はかなり違和感があるなあ。以前は感じなかったのに。アート・ブレイキーのドラムも、なんかしっくりこない。アート・ブレイキーは嫌いじゃないんだけれど。「モーニン」だっけ、「ワーク・ソング」だっけ、かなり好きなのだけれど。モンクとは合ってないよなあ。でも、「クレスプキュール・ウィズ・ネリー」が、とにかく好きで、その意味でもまず聴きたいアルバムだ。「アバイド・ウィズ・ミー」から「ウェル・ユー・ニードント」の流れ、セッションのスリリングな感じは、やはり捨てがたい。
次は「ブリリアント・コーナーズ」。しかし、やっぱりこっちの方がしっくりくる。コンポジション、プレイの両面でモンクらしさのひとつの頂点だなあ、と、思う・・・そんなことは誰でも言うのかな。
モンクをマンドリンでやった人はいるんだろうか。「ラウンド・ミッドナイト」なら、誰かやっているかなあ。

BIG FUN

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モンクス・ミュージック+2

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ブリリアント・コーナーズ

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