アマチュア音楽家の演奏会4

演奏会に出てきた。出場者は多いが、それぞれ4、5人くらいのグループが2、3曲、10分くらいずつ演奏するというもの。10数組、2時間半くらいだったろうか。
去年も同じ演奏会に出た。一昨年はふたつの演奏会に出たのだったか。去年はひとつだけ。一年ぶりの演奏会。
今年はいまのところあと二つは出る予定だ。今日ちょっと雲行きが怪しくなってきたが、なるべく出ようと思う。


私のやっているのは、マンドリンという系統の撥弦、アコースティック楽器。バイオリンに高音用から低音用があるように、マンドリンにもあり、そのうちチェロと同じ調弦の、セロ・・・マンドセロと呼ばれている楽器を、出身大学のサークルから借り続け、弾き続けている。その出身大学のサークルのメンバーが減少して余っていると言えなくもないので借りることが出来る楽器を、低音楽器を弾く人が少ない(楽器が高音域の楽器より大きく高価なので買う人も少ないためもあるだろう)ために、上手くはないのでひっぱりだこというほどではないが、いないと困られたり、「いるとありがたいのだが何か違和感を感じ」られたりしながら続けている。私が自分で違和感を感じているからなのだろうけれど。


私たちのグループは、メンバーが今はあまり活動に参加できないひとりも含め6人。というのが正式ではないがほぼ共通認識だろう。
あとの5人のうちでも誰かが参加できないことが多く、毎年開かれるこの「四重奏演奏会」に2人だけで参加したこともあった(私はその時は観客だった)。
そのときどきにできる範囲で考える、できる人ができることをやって、それぞれがなるべく自然に参加できるようにと、誰かが言ったわけではないがそうなってきたようでもあり、それは多くのメンバーが学生時代に部員減少のなかでできることはなにかをさぐりつづけていた経験から自然に身に付いていたことのようでもある。か、どうか本当のところは分からない。
私たちの中に作曲する人がひとりいて、つくる曲にはやはりその人のくせや、どこかからの影響と思える感じがあって、それらはちょっと気になっていながらも、作曲したばかりの曲を作曲者とやるということだけでも面白いのでもあり、と、つづけているうちにどんどんエスカレートしてきたようでもある。ふだんあまりやらない奏法やポップなリズムなどが面白かったりもしたし、実際の楽器、編成にあわせて書かれたためにしっくり来る部分もあった。
最近はよりユニークになってきたり、作品としてよりつきつめられたものになってきたりしていて、さらに面白くなってもいる。身内びいきになってしまっているかもしれないが。
当初は主に編曲ものだった。バロックが多く、現代的な物や、チャイコフスキーも一応やった。イタリアのマンドリン曲も、以前はそこそこやっていたなあ。今も少しはやる・・・。最近のレパートリーの半分以上はわたしたちの作曲家の作品になってしまったか・・・。
「レパートリー」などといえるように私たちは上手くもないし、毎度納得できるほどにしっかり練習できてもいないのだが、ずいぶん続いてきた。そのなかで見えてきたのは当初あまり予想していなかったもののようでもあり、最初からずっと同じものを見てきた気もする。


演奏会は、高校生から、年輩の方、練習しっかりできたもの、間に合わせに近い私たちのようなもの(すいません)、上手い方、初心者の方、いろいろ。観客が少ないのは残念だった。
ふた組が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をやり、モーツァルトというのは危険な選択の気がしたのだが、どちらも良かった。あんなことは私たちには一生できないかも知れない。少なくとも私には。モーツァルトのなかではそんなに好きな曲ではなかったが、思っていたよりずっといい曲だとわかった。マンドリンでヴァイオリン系統の曲をやるのはくだらないことだと思っている人も多いようだが、やり方によっては決してそうではないことも分かった。ただし、私がやった場合にはくだらないことになってしまうかもしれない。が、やる。
セロ3台だけでオーティス・レディングの曲、たしか「ブルース・ブラザーズ」でも使っていた曲などをやっていたのは、本当に楽しかったなあ。こちらも常識を覆してくれて、こういうのを痛快というのではないかと思った。


日付が変わって、もう、1週間経ってしまったことになるのだなあ。