マンドリンオリジナル曲について2

マンドリンオリジナル」なんてタイトルで書いて吹奏楽のことも書いてしまって、ミクシィで(ほぼ同じ内容をミクシィと両方にアップしている)いただいたコメントの中に「演奏する楽しみのための編成」「オリジナル曲はあっても極端に少ない」という事や、吹奏楽では「オリジナル作品は意欲的に発表されて」いるという事が書かれていたりして、いちいちそうだなあ、と、思う。
恐ろしいことに気付いた気がするのは、私は吹奏楽にも普通の人よりはずっと興味を持っていると思うのだが、そうであっても吹奏楽オリジナルの曲はほとんど知らないということだ。「意欲的に発表されて」いる状況の吹奏楽でさえ、そうなのね。


「演奏する楽しみのための編成」・・・そりゃ、別に悪くないのだけれど、違和感を感じるのはどうしてだろう。有名でなくても、誰も知らなくてもいいけれど、たまたまでもなんとなくでも、たとえば演奏メンバーの知り合いだから聴きに来たとかであっても、それなりにであっても楽しんで欲しいやね。


そういえば・・・私自身は知り合いの知り合いがやっている演奏を聴いて、その日のうちにマンドリンクラブに入ってしまったのだね。しかも、「マンドリンオリジナル曲」。恥ずかしながら、と書くと失礼に当たるとは思いつつも重ねて書くと恥ずかしながら、あの「パストラル・ファンタジー」。
単に楽器が弾きたいとは思っていて、弦楽器がいいとも思っていて、しかしエレキでもアコースティックでも面白い音楽ならいいと思っていて、マンドリン合奏なら難しくなさそうだし面白そうだと、「パストラル・ファンタジー」を聴いて判断したのだね。大学のほかのサークルがつまらなそうだったり難しそう(金銭的にも)だという判断があり、それらはことごとく正しかったのだと今でも思う。
ほかの要素で大変な予測違いがあったものの、音楽的な間違いはしていなかったとは・・・うーん、微妙かな。
その時点では間違っていなかったんだよね、だけど、マンドリン合奏の曲を面白いと思いながらやっていくのと平行して、ほかのクラシックの(有名な、あるいは評価の高い、あるいは斬新な(?))曲にも興味が拡がり、その段階で「マンドリンオリジナル曲」にフラストレーションがうまれてきたのは、それもある意味正しいというか、しょうがないというか・・・。


当時弾いたのはその藤掛廣幸さんの「パストラル・ファンタジー」、久保田孝さんの「舞踊風組曲第1番」(舞踊「風」ってなんなのだろう)「組曲第3番」、鈴木静一さんの「スペイン第2組曲」「スペイン第3組曲」「受難のミサ」、柳田隆介さんの「マンドリン合奏のための2章」、大栗裕さんの「シンフォニエッタNo.5」、熊谷賢一さんの「ヴォカリーズNo.3「黄昏の歌」」(当時私たちは「夜の歌」といっていた)・・・こんなのを1年の間にやったような気がして、それはそれは面白かった・・・。久保田さんや藤掛さんには今はさほど興味はないものの、ほかは今でももう一度やってみたいと思う曲が多い。
こうして並べてみると日本の曲が多い。実際にこの年は特に多かった。イタリアの曲もやったものの、日本の1/3くらいだったか・・・。次の年もマネンテの「シンフォニア」と、アマディの「海の組曲」で始まりはしたものの、マンドリン作曲コンクール上位2曲と大栗裕さんの「シンフォニエッタNo.2」が定期演奏会のプログラムにあったし、1年の最後は熊谷賢一さんの「ヴォカリーズNo.2「街の歌」」、鈴木静一さんの「雪の造形」で締めくくられた。でも、アンブロシウスの「祝典舞曲」(当時は「祝祭日輪舞曲」といっていて、どちらがより正しいかは今も分からない)もやったな。


と、書いたところで今日最初は何を書くつもりだったのかを忘れてしまった。