地方の公募展を見に行く

がっかり、つまらない。
しかし、自分にも自信がない。自分の感性が衰えているせいかもしれぬ。
いや、そうであったとしても、同時に、展覧会自体もつまらないのだろうなあ。
なかでは知人の作品がよく見える。もう中堅クラスのひとばかりなので、当然かもしれないけれど・・・ほかのカンケー者のひとたちも、知り合いの作品がよく見えたりするんじゃないか・・・いや、私の場合は、それとはちょっとだけは違うはずだ・・・でも本当にそうかなあ・・・。


やはり、本当につまらないのだろうなあ。
正直、今日見てきた公募展は、地域の競合展(?)にくらべ、相対的につまらなくなってきているベクトルにある(?)だろう。その競合展に、私は学生時代2度出し、その頃は、私のやっている彫刻はともかく、絵は今日見た方が面白かったんだけれど。
私が出したことのある公募展はほぼ毎年見ている。こちらは何年ぶりかなあ。


しかし・・・いやなことを思い出した。私は自分の出した方の公募展ではない、今日見た方の公募展の審査の手伝いのバイトをしたことがあり、あまりのばかばかしさにあきれた覚えがある。もう20年も前。その頃審査を左右していたひとの何人かは、まだご健在。絵を見た感じ、政治力もありそうで作品もその人達を超えた感じのひとは、ない。20年変わらずやっているのだろうなあ。


つまらないわけだ。誰が悪い・・・その実力のある人たち、自分のエピゴーネンしかつくらなかったのだ。中堅クラスのひとたちの作品の方が、そろそろ良くなっている。が、政治力のありそうな人は見えないなあ。そして、中堅クラスの人たちは個性的な作品を作っていて、その人達に似た作品を書く人はほぼ皆無。
おそろしいのは、それ以下の質の絵を描く人が、政治力のある人たちのひどい劣化コピー。このひとたちは、年輩。
若そうな人は、ヘタ。
「芸術をやるひとって、すごいですね(自分が出来ないから)」とかいう人と、褒めてくれるセンセにだまされて、絵なんかやって、時間とエネルギーの無駄だろ。
でも、私も、「芸術をやるひとって、すごいですね(自分が出来ないから)」とかいう人にイラついてはいるところは違うけれど、時間とエネルギーが無駄なのは、同じかなあ。


以上は絵の話。彫刻は少し事情が違う。20年前も違った意味で絵とは違った。その頃は変なひとが仕切っていて、その人はずいぶん前に亡くなっている。彫刻の審査も手伝ったのだけれど、飯食った前後で言うことが変わっていて、その理由は、多分飯を食ったからだなあと、思ったなあ。
今年亡くなった人もいて、作品を見て、驚いた。たしかその変なひとの勤めていた学校の後を継いだ人だ。まだ40代。いい作品。知らなかった。知人にいいひとがいると教えられていたのに。不明だった。
若い人にいい作品が多く、その先生の教え子だなと気付いた。作風は似ているのだけれど、エピゴーネンという言葉は似合わない。作風以上に、表現の近道を通っている感じの方が、もっと似ている。つたない部分も多いのだけれど、いいのだ。


公募展というモノの一般論を書いたのではなく、今日見たモノの単なるスケッチです。