読書日記090729

先日NHKテレビで宮武外骨についてやっていて、それからしばらく経ってふと思いついて外骨関係の本を引っ張り出してきた。それからまたしばらく経って読み始めた。
大学時代、赤瀬川源平氏に傾倒していて、書店で彼の本を見つけるとすべて買っていた。尾辻克彦名義の小説も、マンガのような「桜画報」なんかも・・・というか、「桜画報」の復刻版のようなものを書店の棚で見つけて以来気になり(買っておけば良かった)、文庫版で出たものを買い、その面白さにすっかりとりこになってしまったのだ。赤瀬川さんはしかし、もとは画家で、現代ゲージュツの人であり、しかし、現代ゲージュツのパフォーマンスやインスタレーションというようなものにそれなりの意義は感じていた(本当か)ものの・・・まあいいや、これは後ほど、またいつか。
その赤瀬川氏が書いた外骨に関する本を読み、とんでもない人がいたものだと瞠目した。しばらくすると外骨氏の甥御さんの吉野孝雄さんが書いた伝記や、いくつかのアンソロジー(抄冊?)など数冊の文庫本を買ってはいたが、読みかじっていたばかりだったのを、時間が出来てきたのでこの度かなり読んだ(時間が出来てきたとはいえ、やるべきことはかなり片づいていないのだが・・・いや、なにをぐだぐだと()の中に)。
赤瀬川源平氏の「桜画報」も、外骨かなあ。
現在では好事家以外おぼえていない宮武外骨はしかし、新聞雑誌の世界、近代日本のジャーナリズムの歴史上かなりの巨人といってもいい部分がある。とんでもなく売れていたんだ・・・ふと思ったのだけれど現在だと売れるどころか筆禍で命を失うかも知れないかなあ。違うか・・・。
森近運平との関わり、南方熊楠との交流、「明治新聞雑誌文庫」という偉業。浮世絵の積極的評価。震災の記録・・・。
いや、これは枝葉にあたるのか。不敬罪とか風俗紊乱罪とか、官吏侮辱罪とか・・・。いや、罪はいいとして。
性的なことをとりあげる・・・という表現は変だな。猥褻なことを研究・・・まあ、そういうことをしていて、それは、何か大切なことのように感じた。という表現はもっと変だな。
彼の生きた時代の風通しの良さというか、それはいいことばかりではないどころかひどいことだらけだったのだが、外骨の「滑稽新聞」が大部数の売れ行きだったというのは、空前絶後のことのように思える。「面白半分」とか「噂の真相」はどれだけ売れたか。


「日韓音楽ノート」、少しずつ読んでいる。面白い。


「時代の風音」けっこう前に読み終えた。何か書こうと思っていたが、思い出したのは、世界のほとんどで、ヨーロッパなども土は15センチ程度しかなく、その下は岩だというような話、人類の文明の歴史はとんでもない自然破壊・・・植物を中心とした生態系を壊して砂漠化するようなことを続けてきたらしいというようなこと。


作曲家の武満徹さんと川田順造さんという方、アフリカでフィールドワークをされていた(という表現がいいかどうか分からないが)文化人類学者の方の往復書簡、「音・ことば・人間」、「時代の風音」と平行して読んでいて、少し後に読み終えた。ことば・・・いろいろと示唆されるものがあったと思うんだけれど、忘れてしまった。
日本人のおおくの常識は無知の産物だ。狭い、ほんのまわりのとひとたちにしかあてはまらない常識のために互いに苦しめあっているのだ、と今思ったけれど、それはこの本には直接関係がない。


現在変な庭畑で野菜を少しつくったり野草を食べたり(つくしやうどやふきやたんぽぽを食べた。今日ははこべを食べてみたが、料理法を調べなかったせいか今まで食べたなかで一番まずかった)木や野草の実を取ったり(カレンズ、グミ、グスベリ、野苺)そばやミントが生えてきたりするのを放置していたりする私だが、永田農法の本、「「極上野菜」をベランダで作る」というカラーの文庫本で買ってきて、パラパラめくってみる。信者にはならないだろうし、面倒な感じだから真似はしないけれど、いろいろな考え方を読むのは、畑で野菜を、ものすごくへただけれど自分で作っているならではの刺激がある。


セロニアス・モンク生涯と作品」という本を、今日はついつい手に取ってしまって・・・いつ本棚から取り出したのか・・・私が傾倒した人、上述の赤瀬川源平さん、作曲家でピアニストの高橋悠治氏、画家ではセザンヌマチス、クレー、彫刻家ではブランクーシ、作曲家ではバッハとサティ、そしてモンクかなあ。他にも誰かを忘れているかもしれないが。演奏家では特にここまで好きだという人は・・・。この本は伝記と言うよりもすこし音楽研究に重きを置いているような感じで、面白かったような気がしていたはずだと思いながら再読。ただし、どうも変な言葉遣いが多く、校正が雑なんじゃないかなあ。
それと・・・パノニカさん! なんというすごい人! 幸運な出会い。逆に、いろいろとうまくいかないことが・・・がっかりするし、限界というものの哀しさ、しかしそうであっても、残ったものの輝き・・・。




などと書いたものを楽器関係のひとが読んだらそんな暇があったら「楽器の練習しろよ」と言い、美術関係の人が読んだら「もっと作品作れよ」と言い、その人たちも含め知人が読んだら「ちゃんと仕事探して自分で喰っていけよ」と言い、家族が読んだら「家の中を片づけなきゃならんだろう」と、言うかもしれない。読む可能性があるのは楽器関係の人だけだと思うが、実際に読んで、そんなことを思っても口にはしないに違いない。しかし、顔に出るような人がいて、それはなかなか嫌なものだ(そういう人が嫌だとか悪いというわけではない)。

外骨という人がいた! (ちくま文庫)

外骨という人がいた! (ちくま文庫)

宮武外骨 (河出文庫)

宮武外骨 (河出文庫)

音・ことば・人間 (同時代ライブラリー)

音・ことば・人間 (同時代ライブラリー)

セロニアス・モンク―生涯と作品

セロニアス・モンク―生涯と作品