メロディー

以前、マンドリン合奏の演奏会のポピュラーステージの選曲をしたことがある。ポピュラーといっても、クラシックが2曲入ったのだが。そして、「ポピュラーステージ」という言い方をするわけではなく、編曲もののステージだと、なんとなく不文律で決まっているという感じ。大学サークルの伝統で、定期演奏会の3つのステージの2番目をそうした選曲にしていた。私が選曲したのはOB会で、大学のときのそうした流れを踏襲していたのだ。
結局はボツになったのだけれど、途中までフォーレの「シシリエンヌ」も考えていた。大学の先輩が学生時代に編曲したスコアがあり、それを一生懸命楽器でなぞったりしてみたのだけれど、その音が面白くて夢中になった。ギターがかなり難しいし、曲を理解するのが難しそうであったし、編曲した先輩があまり取り上げて欲しくなさそうでもあり、ボツにしたが、それ以来フォーレという名前は特別な存在になった。
もはや甘いメロディーの優しい音楽だ、などという認識は持っていない。甘くて優しかったとしても、それはとんでもない技術に支えられている。フォーレに関する本を楽器店の書籍コーナーに見つけ、2冊ほど買った。その1冊の帯に「メロディーを確立した作曲家」などと書いてある。それを読んでから、「メロディー」というものが今まで思っていたものとは違うのではないかという感じがずっとつきまとっている。
しかし、それから5年半も経ってしまったのだ。


最近ふと、バイオリンの曲集にフォーレの「夢のあとに」を見つけ、音をたどってみてしばらく忘れかけていたフォーレへの関心が一気に蘇った。5年半前にくらべると、関心が拡散してしまう感じにある。あの頃は生活上の問題も今より遙かに少なく、様々なことへの関心も今ほどは拡がっていなかった。彫刻をつくることを一旦ある程度ないがしろにするしかないと歯がみしつつも、なんとか続けてきて、今はもうそうしてはいられない、など。すぐいろいろと余計な回想が入るが・・・。
「夢のあとに」の旋律は聞き覚えがあったが、楽譜から楽器を弾きながらたどると、その記憶が蘇ると同時に、聞くよりも理知的にとらえざるを得ないことになる。音の運動力学のようなものがあって、流れをある程度予期しながら弾くというか・・・その、予定調和(なんて言葉よりほかにいい言葉はないかなあ)を少しずつ裏切っていく手応え、ここまでのものに出会うことがあるとは思っていなかった。
フォーレの初期の作品らしい。


いちおうは、ワーグナーを思い出す。適当かどうかはわからないが、臨時記号がそこそこあるので、トリスタン和声とかそういうものと関係があるのかと思ったが・・・感じが違うか・・・。次にドビュッシーを思い出す。「ゴリウォークのケークウォーク」で、ワーグナーをからかって(?)いたから・・・「牧神の午後への前奏曲」の冒頭のメロディー(という言葉を使っていいのかどうか自信がない)・・・次いでストラヴィンスキーの「春の祭典」の冒頭。的はずれか。
ラヴェルの「ボレロ」の長いメロディー。しかし、「ボレロ」のように長く引き伸ばされた感じではないか。
バルトークの「管弦楽のための協奏曲」の、「中断された間奏曲」だったかな、ショスタコーヴィチを皮肉ったという部分と別の、長ったらしいメロディー・・・。
リムスキー・コルサコフの「シェーラザード」の、お姫様(?)のテーマ。そういえば、「シェーラザード」は、なぜかけっこう好きだ。


トロイメライ」という変な曲も思い出した。メロディー(?)が繰り返されるのだけれど、少しずつ変わる。変わっているとは言っても少しであるし、短いひとつのメロディーが何度も何度もなので、もっとなんとかしたらいいのに、という不満がいちおう解消されるときが来たと言ってもいいのだけれど、これはしかし、演奏次第のような気もする。嫌いではないのだけれど、難しいよなあ。変化の必然性というものは、私には容易にはつかめない。シューマン、他の曲をたくさん知っているわけではないが。
「夢のあとに」は、繰り返しは1度だけ、さらに「トロイメライ」より変化が大きく豊かだ。曲全体もかなり短い。



音楽はほかの様々な芸術の中でも法則にしばられやすい性質を持っている。耳は保守的なのか、耳が保守的になってしまうような西洋文化なのか。
音楽は自立しておらず、何かと結びついている要素も大きい。演劇、舞踊、労働、その他の営み(たとえば軍事的な示威行動)。
順列が決定的なものであり、言葉に似ている。話し言葉は転倒した言い方が案外容易だが、書き言葉ではなかなかうまく行かない点で書き言葉に似ている。というのは強引か。
しかし、このような小品というものは時に絵画のタブローのように自立するのではないかというようなことを、ふと思った。自由であって、しかしちゃんとはじまり、ちゃんと変化し、ちゃんと終わる。



考えは散らばるばかりだ。絵画の印象派になぜか思いが及んでしまったが、どうしてだったか。印象派ではなく、セザンヌの・・・。



などと、「メロディー」が気になって5年経ったけれど、なぜ気になったかは分からない。「夢のあとに」にはその鍵があるという気がするまでにこれだけの年月が経ってしまった。そしてそれも見当違いかも知れない。
これから死ぬまでにやりたいことなど何一つ出来ないのではないかとふと思う。

ガブリエル・フォーレ―1845‐1924

ガブリエル・フォーレ―1845‐1924