演奏会が終わった

ほぼ、自分の事しか書きません。あとは抽象論。しかも、サイテー。


演奏会の前々日、それなりによく練習し、他の事もこなし、疲れて眠れなくなった。
前日、いろいろと雑事が上手く片づかない。やはり眠れない。


演奏会、それなりに最善を尽くしたつもりでもあり、何から重視して取り組むべきかで右往左往し、最終的には最小限の事すら出来たか出来ないか、という感じでもある。
どこまでを楽しかったと言っていいものかわからないわけで、困った。


もっとすごい事は、出来ても良かったのだ。それは、私の手から起こっても良かった。
その可能性の怖さ。それのために何かを差し出す勇気はない臆病さ。差し出すものは時間とか・・・そして何かがかえってくる保障がないとできないと感じているような部分が・・・あるのか・・・サイテー・・・。


ステージに出る限りは、結果が全てだ、とはいえ、そこにはプロセスが必ず現れる。打ち込み、デジタル編集ではないのだし、それは息づかいにも出るだろう。誰かの息づかいは、その場の空気をを少しずつ変える。
あ、でも、デジタルにも出るな。そんなくらい人間の感受性のすごさがあるな。その仕組みは、次回(ウソ)。


人が集まりひとつのものをつくる面白さ、尊さ、それは生きている基本で、合奏はそれが端的に現れるひとつのかたちだ。
何人かのアンサンブルだとわかりやすい。そこでは誰でも役割がはっきりしているし、そんなふうに作られている曲。
多い人数になり、役割が複雑化し、ヒエラルキーが生じる。そこで生じる誤解。曲として成立するからには、大人数でもロジックは成り立っているのだけれど。間に合わせの要素が多い曲もあるが。
誤解を解いていくことが、このときのクリエイティビティの必須成分。
そんな誤解が最初からほとんど生じないようなこともけっこうあるのだけれど、人数が多くなるほど難しいか。いつでもそうでなければならないと思う事も大きな障害。悪者探し。
誤解という言葉を使ったけれど、そんなものだろう。コミュニケーションの不足。
悪者が悪心を起こさない(あくまでたとえ)ような心のつながりは、そんなに夢物語ではないはずなのだが・・・なにしろ音楽をやっているのだ・・・甘いか・・・。
私も悪い。人の事を言っているわけではありません。どうすりゃいい?


演奏会が終わった。また次もやろうとしていて、それがあたりまえではないことに気付く。
とはいえ、出来ればいいというものではない。
うだうだしているような人のもやもやを吹き飛ばすような、そんなことは普通だと思っていたのになあ。
今や私が最もうだうだしていて、ダメだ。
まあでも、人生は続く、死ぬまで。あるいは、死んでも?