また演奏会に出る事に

などと、こんなところに書かなくてもいいのだけれど、なんというか、北海道弁なのか、おだっているという言い方があるけれど、そうなのだろうなあと思う。


ついに、自分の出身大学のOB会と、自分の出身大学の後輩とやっているアンサンブル団体以外でははじめて、既存の(?)社会人団体に出演する事にしてしまった。合同演奏会には何度も出たけれど、単一の団体への(ゲスト?)参加ははじめて。しかも超老舗団体。
若い頃ロックを聴いていて(という表現、なにかすごいですね)、伝統を破壊するとか超えるとかそういうタイプの発想に近く、実は生きている伝統に敬意を払わないわけでもないにしろ、この団体に参加するとは思っていなかった。蛇足だけれど、美術ではぶっちゃけた表現をしていたと言えなくもない。


日本のマンドリン合奏というものが興隆する草創期、武井守成さんという方が中心となっていたようであり、国内のマンドリン合奏曲の作曲家の第一人者でもあった。と、書いたけれど、何か違和感が残る。正確に書こうとしても、ニュアンスが伝わっているとは思えない。
思えば私は18のときから24年もマンドセロを弾いてきたのだ。と、いっても4年ほど全く弾かなかった事があったか・・・いや、2年くらいか。そんな間に、そんな知識が付いてしまったのだけれど、そんな知識を付けようとは思っていなかった。などと、何を書いているのかさっぱりわからない。
その間、時々は武井さんの曲を聴いていて、ちょっとは面白いと思っていたのだけれど、この度演奏する「夏の組曲」というものはちょっと破格に面白い。
何だ、というくらい簡単なフレーズをずっと繰り返す。あとは実在音の描写的な・・・ミニマルと言えなくもないが、ちがうか。それが、演奏している感じでは、効果的なのだ(と、私は思う)。新鮮な驚き。1929年の曲らしい。
私たちの頃の学生は、誰もこの作曲家の曲を演奏する事はなく、社会人もそうであって、ひとり、この老舗団体のみが頻繁に取り上げていたようだった。全国的に見てももう少なかったのではないか。それは、もっと以前から、そしてその後もずっと・・・。
今ちょっと調べてみると、2007年に出た20世紀初期日本洋楽史のアンソロジー(?)CD集に、山田耕筰などと一緒に入っている。
とにかく、この大胆さ、単純さ、どういう発想なのだろう。機能的な和声展開というものと、たぶん違うだろう。しかし、思い当たるところはあるのであって、例えば、日本画。あるいは逆に抽象絵画


あと、日本のマンドリン合奏隆盛期の作曲家、鈴木静一さんの代表曲なんかもやったり、マンドリンという楽器がアマチュアを中心に合奏の場で大流行したらしい戦前イタリアのマンドリン合奏曲の名曲の一つもやったり、欲張りな演奏会だ。それで私なんかも出やすくなっている、記念演奏会なのだ。

ロームミュージックファンデーション SPレコード復刻CD集 第3集 日本語版

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