めずらしいこと

先週の土曜、楽器の練習の帰りのバスでたまたま隣り合った人に、「楽器を弾くのですか」と、話しかけられ、話しが弾んでいるようなそうでもないようななか、終点で降りるまでの1時間ほどいろいろな話しをした。
私は美術とか音楽とか、一般には役に立たないといわれていることばかりしていて普通に金銭を得るための仕事をないがしろにしてきたのだけれど、その方は、そういうことがやりたかったのだけれど、生活のためにあきらめてきたような話しだった。ご家庭の話なども聞いた。卑下しているようでもあり、誇りを持っているようでもある。いずれにしろ、何か本音で話す機会を求めていたようだ。
私の家が帰り道にあるとわかると、駅に車を置いているので、送っていくとおっしゃる。私のどこが信用できるというのだろう。その方は、最近はそういう出会いを大切にできるようになったというようなことをおっしゃる。人との出会い、関わりとはなんだろう。そう思って送っていただく事にした。私は専門は彫刻ですというと、何かものをつくってみたいとおっしゃり、教えてほしいという。
私などと関わっていいことがあるかどうかわからないが、ある種、私が失業中だという事で、私の感覚が開かれていたのかも知れないし、その方もそういうような感じだったようだ。


昨日、その方のお宅へお伺いしてきた。縁だというので、そういうこともあるかもしれない。
私などからすると大豪邸だ。小さな建築会社の社長さんで、苦労されてきたお話をされたし、何か作品をつくりたいというような話しもされ、社長さんということでの尊大な事もなく、何か表現衝動のようなものも、くだらないものではなかった。
とはいえ、実際に何をつくるのかということの手助けが出来るとは限らないし、話しがかみ合うとも限らない。が、かみ合わない事を怒るわけでもなく、違う世界に生きてきたズレがあるのだということをふつうに確認することができたようでもある。ビジネスの話しはとりあえず生まれなかったけれど。


イデアスケッチをするんですか。私はしますが、いきなりつくる事もあると思います。
やっぱりデッサン力がないとダメですか。一般的にはそうですが、そうではないタイプの人もいます。
ほか、いろいろ。
こういう話しには、苛立ってしまうひとが多いと思う、社長さんなどになる人はそういうことも多いと思うが、営業で会っているわけではないし、(でも、その要素はないわけではなかったけれど)事実は曲げられない。それを普通に受け止める、しかしそういう方が実業の世界でやってこられたのは、難しかったかもしれないとも思う。
芸術的な事をあきらめてきたと言っていたけれど、家はちょっと余計に工夫してある。センスがないとは言わないが、ちょっとイマイチ。少しずつ褒めるが、お世辞も入っているし、そういうことをすることそのものを褒めている。褒めて、と書いたが、偉そうではなかったはず、私は。
社長さんとの関わりは、すこしは続くのだろうか。


人と話しをする事は、面白いものだ。物事のとらえ方の違い、等々。明らかになるのは、相手であるより自分だ。