「ディア・ドクター」

久しぶりに映画を見た。


もう、10年くらい、まちの小さな映画館の印刷物の仕事をしている。一時期はプログラムをやっていたが、今は、リソグラフで刷るビラの版下をつくるくらい。でも、映画はほとんど見なかった。
少しずつお金をもらっていたのだが、あまりお客の入っていない館なのでなんとなくすっきりしないから、映画の券でいいということにした。それでも見に行けなかったのだ・・・映画を見るために時間を確保するような習慣がないと・・・さすがになんとか行かなきゃという気がしてきていた。
その10年近くの間に、他にいくつかあった映画館はすべてなくなり、シネコンがひとつできた。最初は自主上映サークルだったのだ。その時代に、ウォン・カーウァイの「恋する惑星」を見たこともあった。その時場所を借りていた映画館も、もちろんもうない。「恋する惑星」のときにたくさんいたボランティアの人たち、もういない(たまには見かけるけれど)。代表の人は変わらずやっていて、そのつきあいも広く、私もその一人なのだが。
あまっちょろい、夢のようなものと、私は縁が深い。今、ふと、それでいいのじゃないかと思ったが、この今、私の転機の時期にそんなことを考えていていいものか。
ともあれ、券をもらってその代表の人と「○○はどうですか」「××は?」などと話していてこの映画を見ることにした。あと、「TVブロス」に記事が載っていたのもあって。



「ディア・ドクター」は、面白かった。
西川美和監督、35歳! 原作・監督・脚本・・・映画をつくりたいということは、なんなのだろうなあ。パンフを買ってきて、ちょっとそのプロセスのようなものが書かれているようなのだけれど、まだ読んでいない。
映画って、なんというか、仕掛けか? という感じがした。
なんというか、いろいろなことをやってくると、教師とか、作品をつくったりとか音楽も、また印刷物の制作の仕事、まあどれもやったというほどのことはやってはいないが、なにか仕掛けることばかりだったかも知れないと思うと、あまりにお粗末だったか、仕掛けが、などと私のことはいいのだけれど、自分が中途半端でお粗末だろうとそういうことばかりやっていると、まあ、何か仕掛けがあるということは分かる。仕掛けっていうか、思いつきというか、核のようなものというか・・・これじゃあ全然意味が分からないな・・・。
原作者でもあり、脚本も書き、監督もする。その積み重ねが、何かすごく筋が通って、といってもその筋、仕掛けがあからさまという意味ではなく、いろいろな場面の光と影に、ちゃんと奥行きを与えるような、積み重ねの筋というか・・・やはり全く意味が分からないな。


簡単に言うと、生活していくことの忘れてしまいがちな本質のようなものが、その仕掛けでうかびあがる。と、書いたけれど、何か的はずれな言葉を使っているようだ。
ものをつくること、仕掛けを作ることは面白そうだなあ。私は最初からそう思っていて、そんなことに近いことをやってきて、そこそこうまくはいって、しかしさすがにここまでには、はるかに、百万光年遠く及ばない。
でも、何かここに大事な秘密があるような気が。


物語の筋を書くと、ネタバレになってしまう。
出てくる俳優さん、すべていい。井川遥って、こんなにうまかった? 八千草薫さん、すごい。香川照之さんは前からすごいと思っていた。余貴美子さん、なんというか、すばらしい。瑛太くんのあの場面が私は一番ぐっときたのだけれど、それは半ば私の甘さなのかも知れないが・・・とはいえ・・・なんだろうなあ、この言いようのない満足感。鶴瓶師匠、いやもうなんというか。有名人に「さん」づけとかイヤラシイ気もするが、なんとなく。
何かなあ、何も解決しないということが分かったことの、満足感?
うそくさいといえば、つまりは現実の日常も、くだらなく、うそくさくて・・・この話しの中の生活はそういうのとも違うと言えば違うし、違わないとも言えるというか、なんだ、つまり・・・。


これからも、もうちょっとは映画館に足を運んでみようかと思った。
この映画は、こんなものを読んだ人はさっぱり行く気にはならないとは思うのだけれど、そこをなんとか・・・強くお薦めします。