音楽について 2-1

青少年音楽コンクールというようなものを見ている。北海道の合唱コンクールを放送したもの。録画機を最近手に入れたが、番組表が読み込まれ、それで簡単に予約できて、ハードディスクがいっぱいになってきた。それで消そうかどうか迷って、ながらで観ることができる聴くことができるものとして選んでしまう。


小学校と中学校の部に分かれていて、小学校の部はあまり面白くなかった。課題曲なのか、はやりなのか地雷の犠牲者のうたを何校もうたっている。どうも違和感がある。きれいに声を合わせ、ハーモニーをつくって、歌詞に感情移入してうたうということ、それを審査すること、そういう営みの全体に白々しさを感じる、と、意地悪く書いてみる。子どもたちにとってはそれも感動的で、集中できることで、コンクール上位にはいるような学校だと、その集中の度合いもより高く、それは子どもたちがこれから生きていくちからになるだろう。しかし、そんなことであっても、もとから合唱に関心のある人以外に興味を持たれる事はほとんどないだろう。何のための営みなのか。


中学校の部で、オルバーンというひとのミサ曲(「マス」と読んでいたが、いちおうミサ曲らしい)。ちょっと面白い。このひと、ルーマニア出身、現在ハンガリーの、かの有名なリスト音楽院で教鞭をとっているようだ。ミサ曲というが、弾むようなリズムの楽しそうな曲。
コチャール、ブストなどという人たちの曲も出てくる。やはり面白い。このような音楽が面白いと思えるのはなぜだろう。コチャールというひとはミクローシュという名前らしいので、ハンガリーのひとだろうか。ブストというひとは、スペインの、バスク地方のひとらしい。ハンガリーに関わりがある人が多いという事、リストやバルトークもさることながら、合唱なので、コダーイを思い出す。と、いっても、あまり良く知らないが、北海道にもコダーイの名前を冠した合唱団があったような気がする。
日本の曲、どうも情緒に流れ、しまらない感じのものが多い気がする。木島始や、谷川俊太郎というような名前を聞いた事があるひとが詩を書いたものもあったようだが、それらも甘い気がする。詩をちゃんと聞き取ろうと集中してはいないが。「安里屋ユンタ」を遅く淡々と歌う妙な曲もあったが、そのほうが面白いくらいだ。最後、ちょっと前衛的な曲があって、全国大会へ行く事になった学校で、それは他から際立っていて面白かった。
しかし、こんな感じ方をする私というのもいったいなんなのか。
中学校の課題曲はいきものがかりというバンド? ちがうか。グループといっていいのかな。そのひとが作った曲らしいが、多くの日本の合唱の専門家の曲よりもしっかりとした線で描かれている気がして、かえって面白い気がした。これも、しかし、どういうわけか。コンポジションとしては合唱を想定している要素は、専門の作曲家のひとよりは薄いと思うのだが、そういうことではなく、子どもたちの実感にちかい、そのためなのか。前衛的な曲をうたった同じ学校の演奏で聴いたのだが、どちらも良かった。そういう表現の幅を獲得できるのだなあ、しかし、なんのためか。


高校の部もオルバーンの曲から始まった。
つづいて大岡信の詩の曲、ピアノ伴奏が面白い。しかしこの感じは、いちおう日本語の、しかも明治、昭和を経た日本語がたどりついた平坦な雰囲気をもとにしているためにこうなるのか。それと同時に、西洋のコンポジションの常識的な展開のようでもある。
高校でも、奄美の音楽をもとにしたという曲が出てきたが、どうもきれいに構成されている。奄美のリズムというものはかなり特徴的だということを読んだという気がするが、拍子、小節構成は整理され整数単位に整えられてしまっているのではないか。独特の音階のような感じも薄められている気がして、これは沖縄のビギンや夏川りみがやっていることを沖縄の外のひとが真似をしたような事なのか、あるいは沖縄や奄美のひとの仕事か? 民謡のようなものを採り入れると言ったら、パルトークコダーイを、日本では間宮芳生や林光を思い出すが、それを水で薄めたような感じだろうか。
と、書いていたら、間宮芳生を思わせるような曲が。ああ、でも、主に最初だけか。
谷川俊太郎に、三善晃という曲があり、ほんの一瞬「赤毛のアン」を思わせる和音の移り変わりがあるような気がして、懐かしい感じがする。




オルバーン、コチャール、ブスト、コダーイなんていうひとがいる事を考えると、吹奏楽のリードやバーンズなんていうひとを思い出す。そうしたらマンドリン合奏の、誰を思い出せばいいのか、アマデイやヴェルキになるのだろうか。
熊谷賢一が合唱曲で良く知られている事や、大栗裕が吹奏楽の世界で人気がある事を思い出せばいいだろうか。
と、私が考えていることに、何か意味があるのか。
いわゆるマンドリンのオリジナル曲の完成度が低い事を、鬼の首を取ったようにあげつらい、そんな曲が好きだという事など、さらにマンドリン合奏なんかをやっているひとが、レベルが低いなどという見方をするひとがいる。一理あるとも思う。しかし、ヒステリックにそういうことを主張する人が多い事には心を痛める。そんなひとがネットにたくさんいる。2ちゃんというものの、いいところだろう。そんなひとが、実際にいるのだということがわかる。マンドリン合奏に関わったひと以外では、そんなことに気付くこともほぼないと思うので、やったことのあるひとたち。何のためにそうまでヒステリックになるのか。しかし、このことはここで忘れよう・・・このことは何度も書いてきたような気がする。
合唱にしろ、吹奏楽にしろ、マンドリン合奏にしろ、何か閉鎖的なコミュニティのようなところはあるなあと思う。




と、いうところでつづきを書く暇がなくなった。別に書く事はないのかしれないが、何かとっかかりを書いた先に考えた事か考えようとした事があったような気がするので、2-1としておく。2なので1のようなものがある。それは2-2以降を書いたときに。