アマチュア音楽家の演奏会 5-2

先程までここにあった書き込みを削除し、差し替えました。本当は朝に削除したつもりだったのが、「下書き保存」をあらためてしただけになっていました。そのけずったものが「アマチュア楽家の演奏会 5」でしたが、書きかえて「アマチュア楽家の演奏会 5-2」とします。
昨日深夜に書き込んだひどい記事を読まれた数人の方、再びここを読まれるかどうかはわかりませんが、お詫びいたします。


昨日マンドリン合奏のコンサートに行って来て、様々な部分に感銘を受けると同時に、疑問にとらわれた。
いい演奏に心を打たれたのに・・・今思うと以前ならそこで満足していたはずなのに・・・何か重箱の隅をつついて納得行かないような感覚にとらわれ、そのとらわれた自分が奇怪だという状況。奇怪だと客観視する部分と、重箱の隅をどんどん掘り進めようとしつづける部分・・・。
削除はしたものの、そうしてしまった自分は現段階で信用できない。


隅をつついてうかんだ疑念、プログラミングの難しさと、曲の解釈。レパートリーの意味。
しかし特に、イタリアの曲は、変だと思った事。マネンテという有名な作曲家の代表曲、それはマンドリン合奏のために書かれた、編曲ものではないものだと思うのだけれど、無理があるところが散見されたと思う。演奏でその無理がある部分を解決できなかったと、考えている。イタリアものは若い世代の感覚では解釈できないのかもしれないとも考えたが、私が解釈できていると考えているわけではないけれど・・・。
「華燭の祭典」は名曲か? 以前から疑問には思っていたけれど、しかし、もしかしたら本当に名曲なのか。気になる部分、凡庸なようなメロディー、いきなり始まる冒頭部分、ベースの違和感(ヴェルキの曲では全く感じなかったが、華燭の方が数段厳しく、無理があるんじゃないか)、3楽章の無茶な展開(実はそんな事ないのか)、等々。


逆に、心打たれた部分。あんなきれいなトレモロの合奏を聴いた事がない、という部分があった(もしかしたら記憶力が悪いせいかもしれないが)。何の曲だったかな。ヴァイオリンにくらべマンドリンの利点はないと言われるが、楽器の限界は低いとしても、ああいう音の美しさには、通常のクラシック音楽全般でつかわれている楽器たちと違った存在意義は、ある、と思わせてくれる演奏。
あと、「メキシコ組曲」の3楽章はじめ1部全体、「熱情組曲」、それらが良かったから逆に「華燭の祭典」への納得のいかなさは、自分がおかしいという事も含め(それが有力かも知れない)なんとか解決しなければならない気もするが・・・。
スター・ウォーズ」が良かった。これは、構成はいいとか悪いとかいうものではなく、それでも細部がきれいに出来ていると、目を見張るような感じで、耳がそばだてられる感覚があった。
上記の曲にはそれに加え曲のかたちが浮かび上がるおどろきがあり、作曲者から、団体が今回それを取り上げるというセンス、そして個々人の技術まで揃ってはじめてそうなるという立体的な知的感動があった。
「華燭の祭典」にも、近い要素はいくらでもあったけれども納得がいかない、しかしその自分も何かあやしい・・・。


と、書き直すと少しは読める、そんなにおかしい事を書いていない気もする。私がものすごく楽器が下手な事は棚に上げているけれど。
昨日私が書いたものはひどかった。似たような事を書いていた部分も多い気もするが、全く違った。
異常だと思う。コンプレックスが動き出すと、止められないようだ。私はそういう部分を押さえつけて生きているのだろう。暗澹とする。


ご不快に思われた方、重ねて、お詫びいたします。