彫刻をつくる 091111

7月の、町の公募展以来、最近まで作品をつくっていなかった。時間があったのに。
長年の鬱々とした気分をふりはらうために何もしたくなかったため、とはいえその鬱々とした気分をふりはらうためにはしなければならなかったことがあったため、そしてそのしなければならなかったことをぐずぐずとしなかったため。またその間音楽に、いつもよりは多めにかまけていたためもあるが、その影響は少ないな。
実際には荒れ果てた家の中を少しずつしか片づけられなかったことも大きい。失業中なので家にいることが多かったが、家にいる事が楽しいということはあまりなかった。楽器を弾いて、若干の手応えがあってさえも、それほど楽しくはなかった気がしてきた。これはどういうことか。


とはいえ、やっと来週のグループ展に向けて若干のめどが立ってきた。こんなにほっとしたのはいつ以来のことだろう。
と、いっても今日までダメだったなあ。
作品のできはともかく、抽象の作品をつくりながら今年初めてのそこそこの手応え、去年のグループ展からのどに引っかかっていた何かが、やっとひとつはずれた感じもする。


その前には、学生時代以来初めて、学生時代も一作以外はほとんどは習作でしかつくらなかった具象の作品を、この度発表しようと仕上げつつある、ということがあった。
あからさまな具象の作品をつくるのは逃げだという感じがあったが、逃げる事にした。具象の彫刻というものはそこそこデッサン力のある絵を描く人も、なかなかそれらしいものは作れない。だからそれをつくれるということを示して人から「こいつがやっていることはまあわかる」くらいには納得されたいという願望が、あったと思う。さらにしかし抽象をつくっていた者が凡庸なものをつくっては格好が付かないということもあった。実際にどうかは分からないが、満足した。
頭に浮かんだのはメダルド・ロッソ。出来てきたものはもっと凡庸だけれど。タイトルは「見上げる」。つくる途中の方が面白いものだったが、破綻が多かった。それを減らして凡庸になったが、そこそこなんとかなるのでは、ないかと、思う。あとは型を割って、台にしつらえる作業がうまくいくかどうか。


その前にはひょんな思いつきをあっという間につくったものがひとつ、リハビリであり、いままで試そうと思っていた事をふたつほど試せた。そのわりには悪くないと思う・・・。


今日、以前からずっとうかんでは消えていた形がほぼなんとかなりそうになり、それに満足してもうひとつ、やはりずっとつくろうと思っていたアイデアに手を付け、小さい作品を4つの予定で、これが限界かなあ。しかし、密度、作品の質はどれも昨年のものを超えると思うんだけれど。
というわけで、ほっとした。


今日ほぼかたまった作品をつくるうちにアイデアが動いた。形がうかぶのは唐突で、意味がありそうななさそうな感じで、タイトルに困る。困っているうちに浮かんだ言葉が、「ミニマル・アラベスク」・・・自分なりの意味があって、大変嬉しかったがアラベスクかどうか。次が、「エキゾチック・ミニマル」・・・うーん。有機的な曲面と無機的な平面の、コンポジションでありつつ、量塊としての「彫刻」・・・材質の必然性?・・・絵に描いた彫刻らしさか・・・。最後は「セル」というものになって、意味はある。アラベスクとも関係があるけれど・・・エキゾチックはひらきなおりだし、単なる皮肉?
よく考えるとデタラメ、いきあたりばったりなのだが・・・。


最後に手を付けたのは「七角柱」、まあ、そのまんま。これは以前からのタイトルの付け方。そのディテール、スケールをこれから仕上げる楽しさの予感。


というところでまるまる2日半ほど日程が残っているだけでうれしい。このときばかりは失業万歳。




蛇足だけれど、自分のうけもつ展示のボリュームを気にしていた事に今気付いた。
先日、10分と指定されたコンサートの受け持ち時間をどうするかでちょっとだけもめた事を思い出し、その点では同じような感覚があるなあ、と、思った。