アマチュア音楽家の演奏会 7

昨日、つまりは私がコンサートに行った日の次の日、そのとなり町の大学のマンドリン団体の演奏会もあった、と、それが終わる頃に家の机の紙の山からビラを見つけて気づいた。などと、行きもしなかった演奏会のことを書き始めるのは、どうやら芥川也寸志の曲をやったらしいからだ。
マンドリンの世界で有名なのは「弦楽のための三楽章“トリプティーク”」(1953)で、マンドリンオーケストラのためにいくつも編曲があるようだ。私も学生の頃にやったことがあるのだけれど、この曲の演奏史上最低にちかいものだったかもしれない、と書くこともまた最低の部類の話になるかもしれない。
昨日演奏されたらしいのは、私も京都の団体でやっていたということは知っていた「交響管弦楽のための音楽」(1950)。編曲もそのときのものではないか。
芥川也寸志の曲では、「トリプティーク」が有名だろうけれど、マンドリン界で特にそうなのかもしれない。「交響三章“トリニタ・シンフォニカ”」(1948)、「交響曲第1番」(1954、55)の3曲がわかりやすく、印象的で、私もこの3曲の入ったCDを買って、一時は良く聴いたし、時々思い出しては聴く。
「交響管弦楽のための音楽」を、YouTubeで今更初めて聴いた。大学卒業後の出世作らしい。バルトークの「弦楽オーケストラのためのディベルティメント」をちょっと思わされる1楽章冒頭、ひょうきんな感じもあるかもしれない。2楽章は、彼自身の「交響三章」にも似ているかな。現代の暗さみたいなものも背負いつつあくまでもエネルギッシュに疾走する・・・という表現はあっているかどうかわからないが、25歳くらいの頃の作品か・・・2楽章の曲だけれど、どちらもリズミカルな。弾けたら楽しそうだなあ。


ビラにあったもうひとつ気になった曲の名前は、ファルボの「スパニア」。また、スペイン。
多くの人がイタリアのマンドリン古典の最高の作曲家だとしているかもしれないファルボの最高傑作ではないか。独特の情緒を持つ美しい曲。
ちょっと難しい。少なくともセロは難しく、私には弾けない。そして、セロが目立たなくては4楽章の魅力半減ではないか。そんなすごいセロパートになっているのか。また、薄いオーケストレーションのようなので、各パートが充実していないとすぐボロが出るのではないか。


気位も高いだろうし、私の学生時代などより耳も趣味もいいだろうし、楽器の演奏能力などはずっと上だろう学生たちがこれらの曲をやるというのは、それでも無謀なのかすごいレベルのか、どちらかだろう。無謀なのも好きだし、無謀といっても私が学生の頃の「トリプティーク」の闇雲さよりは地に足が付いているだろうし、聴いてみたかったなあ。
なんて思いはするものの、それがはたしてすごかったとして、誰が聴きに来るのかな、聴きに来たマンドリン愛好家以外の人たちはどんな感想を持つのか。音楽好きの人たちの意外に保守的な耳。というか、耳というものが保守的なのか。普通の人たちは、聴きに来るのか。
今の学生たちなんて、なんでマンドリンなんかやるんだろう。なんでもいいのかもしれないし、音楽が好きだからかもしれないし、男女の引き合う力と関係がないわけがない、などと意地悪な見方もしたくなるが、私の学生時代とそれほど変わらない気もする。世の中は昔よりつまらなくなっている気もするから、こんな箱庭のような世界に思いがけない広がりや深さを見つけて熱中できるのかもしれないな。
結構人数が多いのではないかと思うけれど、卒業後も続ける人はどれくらいいるのかな。別に続けなくてもいいのかもしれないが。