さっぽろアートステージ

と、いうのを、あまりはっきり認識していなかった。多分今までも耳には入っていたのだけれど。
11月に毎年札幌で行われている、総合的な(?)アート・プロジェクト(?)。美術と、演劇と・・・音楽は関係があったんだったか、リーフレットがどこかにあるのだけれど・・・うーん、しょうがない。サイトを見るか。音楽は、小・中・高校生の合唱をやったんだね。あとはストリートライブ。演劇も、「北海道演劇発表会」、なんていうものがあって、なんか中文連みたい。「札幌演劇祭TheaterGoRound」、なんてかなり大規模な感じ。美術は地下鉄駅を結ぶ通路での美術展と、フリー・マーケットがあったようだ。
市内何カ所か、何回かで展示会や公演などが行われたというものなのだろう。
美術関係の人がラジオに出ていてこのプロジェクト(?)について話していて知った。名前や、作品を知っている人だ。本人を見たこともある。何度か。


ひとつだけ見てきました。
私は美術をやっているし、札幌の大学出身で、札幌のアートシーン(?)はそれなりにチェックしているのだ。といっても「さっぽろアートステージ」に4年間気づかなかったのだけれど。ので、「500m美術館」。「若手アーティスト・市民200人展」というものを含む、ということなのかな。ほぼ一月の間やっていたようだ。
会期中頃に一度見て、その後数年ぶりにたまたま会った知人が変名(?)で出しているというのを知って、もう一度おわりのほうで見た。
まあ、面白い。「アート」っぽい、あるいは意地悪く言うと「アートを気取っている」ものが多いのだけれど、こう書くのはわかりやすいようにしているだけで、他意はないし、敵意もない。ただ、美術界(?)の大部分を占める公募展などに出品することの多い画家さんたちとは、一線を画しているように感じられるということは書いておきましょう。公募展に出しているひとや、会員さんも何人か出展してはいますが。


面白かった。
公共の空間に商工業広告以外の展示、それだけで何かうれしいと、思うのは私が美術の人間(?なんという表記)だからかもしれないが。
ピックアップされた作家(「若手アーティスト」?)と、それ以外(「市民200人展」?)とがあるようなのだけれど、市民の方ももっと大きな作品を展示してほしかったとは思ったが。出品規定があるのだろうか。空間の広さ、壁がタイルで印象が強いことからすると、こぢんまりとしすぎ、作品が弱く感じられる感じがした。市民といっても、美術関係の人が多いようでもあったけれど・・・。
作品のネームプレートの文字が小さくて、これは若い人しか想定していないのか、と、DTPオペレーターとしては思ってしまいましたが。
好きなタイプの作品は、アーティストの方にはけっこうあったものの、市民の方にはそれほどない。それでも、こういうことがあるということはいいことだという気がした。
アート、美術って市民と乖離しているんだなあ。もちろん私も、そのひとり。いやそれでも、とりあえずその乖離もほほえましいといか、思うのは私が美術の人間(?なんという表記)だからかもしれないが。
乖離といってもたとえばそんな壁などの変化に気を止めていられない人が多いということもそのひとつ、私が訪れたのは夕刻、仕事を終えた人もちらほら。目を向けようともしない人も多い。何日も同じ作品の前を通っているせいかもしれないが。しかしまっすぐ前を向いて通り過ぎる人ばかりではなく、「ゲージュツなんかムズカシクテワカラナイヤ」というひとが多いだろうになんかうれしそうな人もいた気が、する。でもねえ、そんな結構好意的なひとも、大半はなんでこんなことやるのかなあ、と、おもうだろう、乖離もあるのではないか。
しかしそんな乖離も、こんなふうにアートの方から町に出てみないと、わからないよね。町に出たからって、町の人に歩み寄るべきだというわけではないけれど・・・ややこしい・・・。


破壊されたのか作者によって撤去されたのか、作品がいくつかなくなっていた(らしい、と、空いている壁から思った)。だからどうしたということではなく・・・。でも、作品がかわいそうに思える部分はないわけではない。公募展に出すような時間と材料費(と、情熱)をかけたような作品を、ふきっさらしに少し近い、さむーい地下通路には出したくないかもしれない。
しかし、出したとして、美術展会場とはちがうものに感じられるだろうなと、そんな想像をするのも、楽しい。


私自身は心の準備もできそうにない。でも、こんな場所に出すことも、そのうち考えて作ってみたいと思う、きっかけ、やはり楽しい。


これも、先週の土曜。ルオーを見て、マンドリンのコンサートを聴いて、地下鉄の通路の美術展を見た。
その後もうひとつあったのだけれど、それは本屋で買った本の話です。また後ほど(誰も期待してないとは思いますが)。