いろいろメモ100105

最近テレビが点いていると続けて見たくなってしまって困る。
昨日は・・・なんだったかな。


何日か前には、お笑いの、コンビを組み替えて(?)打ち合わせをして披露するというもの、全部見てしまった。ロッチというコンビ、ふたりともかなり面白かった。千原ジュニアと組んだ方の人(調べるのが面倒で名前がわからず申し訳ない)打ち合わせの映像に見た積極性の的確さ(?)、印象的だった。トリをとったのはTKOのひとりと、誰だったかな、これも良くて、こちらの組の打ち合わせも面白かった。
なんて、舞台裏を見せていいのか、という話もあるかもしれないが、私はロッキンオンやアニメージュの読者時代から舞台裏が好きなタイプだったかな。


今日は、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、登場したのは有機農業の、金子美登(よしのり)。
家庭菜園のようなものをやっているので農業というか、野菜などを作ることに興味がある。
今日の放送では、去年の日照不足の時期に、稲のいもち病の対策として雑草の量を調節する、という、なんともローテクというか、ある意味単純なようで手間も、カンも必要な高度なテクニックを使った、ということがハイライトになっていた。いもち病は、日照不足で光合成が少なくなり、稲が吸収した地中の栄養分が充分に使われずに稲の各部に残って起こるらしく、そうならないように雑草を残して地中の栄養分を吸収してもらおうということだったらしい。それが功を奏して、影響が大きくならないで済んだという・・・。
そういうアプローチは好きだ。雑草が出る無農薬状態だから可能だったということか。しかし、どのくらい残すかも、手作業になる上に、カンだけではなく実際に何度もチェックしなければならなくなるなど、複雑さ、煩雑さが倍加する、そしてその成功を喜ぶ・・・。
ほかにはトマトにニラを組み合わせるなど、農薬の代わりに植物、作物を使うらしいそのアプローチも、かなり好きだ。
思えば、農業というものは近代化によって口伝に近いかたちで伝わってきたテクニックを壊滅的に失ってしまっている、とも言える。それはどこかに残っている、いたのかもしれないけれど・・・。現在の金子氏などのアプローチというものは科学の成果を生かしているわけで、それと伝統的なアプローチとの類似点と、相違点なんてものが浮かび上がる、面白さが想像できる。誰かやっているんだろうけれど。
あと、有機農法ということでは、金子さんが師事したという一楽照雄という人の名前を覚えておきたいと思った。ちらっと調べてみると一楽氏より前に福岡正信岡田茂吉というひとが自然農法というような取り組みをしていたらしいこと、そういえば福岡という名前は記憶にある。福岡さんは不耕起、岡田さんは無施肥が特徴だったという・・・。最近では永田照喜治という人が有名で、私も永田農法に関する新書を1冊と、永田氏が書いた? 写真が多数入ったおしゃれな? 文庫本も買っている・・・新書の方は文章が苦手な感じだったが・・・。


その前にはテレビ東京系だと思うけれど救命医療のドキュメントを見た。すごい。
いろいろ考えもしたけれど、忘れた。覚えていることはちょっと重い内容なので書きにくい。


「プロフェッショナル」のあとには「あの人に会いたい」を見た。勅使河原宏
華道、映像、造形の分野などで活躍した草月流の人。草月会館イサムノグチのスペースがあったと思うのだけれど、どうなったんだろう。私は「利休」を、赤瀬川源平への興味を持って見たことがある。
華道というと中川幸夫について何日か前に見て、これは印象的だった。花を大量に花器に・・・単なる透明なガラスの容器だったかな、それに詰め込んで、逆さにして、紙かなあ、そこに染み出す色の鮮やかさが印象的なもの、あとは私も知っていた、確か越後妻有の大地の芸術祭という企画と関係して行われた「天空散華」というもの、など、きわめて独特で・・・なんて言うといいのかな、とりあえず、忘れないようにしたい名前。
天空散華のときに競演(?)した大野一雄という舞踏家(?)のひと、土方巽や、私も一度美術館で見たことのある田中泯という名前を・・・どちらかというと苦手な感じだったのだけれど、なぜか無視できない感じがしていることも、思い出した。
勅使川原三郎という人もいたな、って、勅使川原つながりがあったような連想は、許されるものかどうかわからないが。


インドにも寒波があって、40人亡くなったらしい、という情報はインドへの日本の自動車メーカー進出のニュースのさわりの部分で知った。ミクシィの日記に、中国や韓国で記録的な積雪があったというニュースを転載したけれど、その低気圧が日本に来て、もう一つの低気圧とひとつになって発達して、今日明日の全国的な荒れ模様の天気を日本でひきおこすらしい。私の住むここは今、何時間か雪が止んでいて、北海道ではかなり恵まれたことになったと思っている。


「言葉と思考」に関して別に項目を立てて文章を書こうと思っていたけれど、時間がもうなさそうなのでいちおうちょっとだけここに書いておく。言葉に射程距離があるというようなことを考えた。その射程距離の広さ、なんて、すでに言葉がおかしくなっているのだけれど、そういう言葉を目指すというようなことを思いついていた。言葉でも、論理でもいい。作品でも・・・というとかなり怪しげな話になってしまうかもしれない。が、そういうこと。
あとは、思考のパースペクティブのようなこと。透視図法は2次元に3次元を映し出す。人間は少なくとも4次元にアクセスしているのだけれど、時間の次元では自由に移動(?)できない。思考の世界ではしかしそれらを自在に行き来する。
そんな、言葉、論理、作品・・・。
投写、という言葉が浮かんで、小さな、短い、単純なものであってもより豊かな世界を投写するものを私は志向しているのではないかと思うのだけれど、逆にこんなメモに雑多なことが凝縮することでいろいろと投写されているかな、とも思ったけれど、しかし、どうカテゴリーをつけていいものやら。