音楽と構造 4

なんというか、タイトルに偽りありのようですね。しかし、ちがうタイトルを付けるのも微妙だ。


私が今度書くのは、聴取することってなんだろう、そういう演奏と聴取の構造って言ったら変なのか。そんなことについてだ。
さらに、演奏と聴取、というけれど、作曲と演奏、ということもあって、そんな社会的、というと、ちょっとちがうにしても、物理的ではない「場」、しかもいろいろな位相がある場で、音楽は鳴る・・・という言い方がいいかな、場に音楽がある、のほうがいいのか、一時的に存在して消えちゃうものだけれど。 
それって何の意味があるの。


ステージに上がって演奏するときに、私は客席の聴衆のことは、実はほとんど考えない。といっても、なるべく失礼ではないようにしようと思っているし、聴いて不愉快ではなく、なるべく楽しんでほしいと思ってもいる、というか、なるべくというのは、私の技術や感覚では心から楽しませるのは無理だろうけれど、できるだけのことをして、といっても、音楽は片手間にやっていることなのだから、たいしたこともできない範囲でできるだけのことをして、とか・・・。というようなことはしかし、練習の時とかに考えて、実際にステージに上がるときは今まで準備したことをなるべく失敗しないようにやるのにピキピキ緊張して、余裕はないのだけれど、できる範囲で、せめて失礼はないように、とは思っているものの、なるべく変なタイミングじゃなく礼をしなくてはと、これまたいっぱいいっぱい。
不快に感じた方がいたらごめんなさい、としか言えない。


マチュアの場合はそれでいいのか、プロならダメなのか、それはケースバイケースか。


てなことと、全然違った音楽の在り方があって、そのひとつは鼻歌。
作曲した人とか、作詞した人、それを編曲して演奏して歌手が歌って、営業のひとが売り込んで放送関係に話が通って、なんてことも実績がある人だとすんなり通ったり、広告会社もからんだりマネージャーもいろいろ調整したり、そしてラジオでかかったりテレビで流れたりして、それを聴いた人がいいな、と思って覚えたやつが、なんかのときについ口をつく、そんな鼻歌。
なんかのときについ口をつくのはかわらないけれど、もっとちがう経過をたどって鼻歌になる場合が、むかしはあったけれど、今はだいたいこんなもんだよね。
でも、むかしこんなのとは違う感じで誰かの鼻歌になった歌が妙な形で伝わって今も鼻歌として登場するのはあるな。
と思って私は今立って歩いてお湯を沸かしてきたのだけれど、鼻歌、歌ってた。「ムーン・リバー」、でも、これも上のパターンだな。テレビやラジオの前に映画があるけど。さらに、ややこしいことにこの曲をさっき買ってきたチェロの楽譜を見てマンドセロという楽器を弾いていたので歌っていたという話なんだけれど、そんな事を書く必要はないか。


唐突だけれど、「ムーン・リバー」と言えばオードリー・ヘップバーンだ。なんていう映画だったかも思い出せないし、その映画を見たことはないのだけれど、なんかのテレビ番組でその映画のここの部分だけ見たのだと思うのだけれど、オードリーが窓に腰掛けてギターを弾きながらだったかな、この曲を歌っている感じは、覚えている。どんなすばらしいアレンジで、すげえうまい演奏したり歌ったりしても、この場面にはかなわないな、とか、なんのために書いているのかよくわからないか。
しかし、もちろん、すばらしいアレンジの、すげえうまい演奏や歌も、大歓迎。
いい音楽ってのは、両極端では、そんな感じかな。その中間のもいろいろあるよね。私のやっているアンサンブルも、いい音楽かどうかはわからないけれど、鼻歌で歌える曲をなんかできるだけいい形でやろうとしているようでもあるが、この度はあまり関係ない話かな。
で、しかしどちらにもあてはまる共通点があって、何かというと、いい曲だということだ。


いい曲とは何なのかというと、鼻歌でもプロの演奏でもすばらしいものということであり、そういうある種のパターン、構造のようなものなのではないかと思う。物語に近いような気がしたのだけれど、的外れか。あとは、共通しているのは、詩かなあ。優れた詩には優れた構造があり、定型詩で共通の思潮のものであれば共通の構造が多いかもしれないが、詩というのは構造の自由な形式・・・小節でもそうか。
でも、なんとなく音楽は、特に作曲は物語とか詩を作ることに近い気がする。


そして、詩はともかく、物語は運命とかに関係があって、ベートーヴェンはそれっぽいなあ。でも、物語はベートーヴェンの曲のように順序よく規則的にしなくてもいいから違うか。


絵とか美術はこういうのとは遠いかな、と思いつつ、私の好きなセザンヌマチス、クレーはちょっと音楽に近いかなと思うが、その根拠を上手く示すことはできません。


そして、いろいろ考えてきたけれど、何か意味があるのかどうか、自分でもさっぱりわからない。
読み返してみたら、それどころか、途中で話題が少しずつねじれている。最後には、途中まで書くつもりだったことと違う話になっている。
ごめんなさい。