サリンジャー氏死去

カート・ヴォネガットが亡くなったときに、そういえばサリンジャーはどうしたんだろうと思っていた。海外の作家の小説で良く読んだのは、この二人だけ。他は、一番最近はストロガツキー兄弟を2冊読んだことで、もう5年にもなる。
ずっと以前にはヘッセを読んだ。高校生の頃、忌野清志郎が読んでいたということで、だった。
あとは、ジョイスの「ダブリン市民」を去年くらいにちょっと読んでそのままになっているとか、このセレクトは、なんか繊細ぶっている感じになるだろうか。


ライ麦畑でつかまえて」、「ナイン・ストーリーズ」、「フラニーとゾーイー」、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」他にもあるのかな。ああ、そうだ「ハプワース16、一九二四」も、買って読んだ。ちょっと探したけれど見あたらない。「フラニーとゾーイー」、「大工よ〜」が印象深い。
びっくりしたのは「ハプワース〜」がアメリカでは公刊されていないらしいこと。なんという・・・。ほかに未公開の初期の短編もあるようだ。作者が亡くなって公開されるのだろうか。そんなことがあるとしたらすごい話しだ。
サリンジャーをつかまえて」なんて本もハードカバーで買った。今調べたら文庫本で出ていて驚いた。今買わないと、手に入れられなくなるような気がしていたのに・・・。図書館にもあったし。ミクシイでもこのニュースにたくさん日記を書いている人がいるようだし、ファンは多いのだろうな。


サリンジャーを読まなくなったのは、読む作品がなくなったことがまずはあるが、読み返さなかったのは、作品の繊細さに対する警戒感だろうか。がさつな(?)世間に適応できない、繊細で優れた感受性を持った人たちには、悲劇的な運命が待っている。
ちゃんとリアリティがあるし、深く共感できるが、この構図を自分の生活に当てはめてしまう危険を感じた・・・というほど自覚してはいなかったが、簡単に書くと、繊細ぶるわけにはいかないという感じかもしれない。
優れたひとたちの話だということが、困ったことで、私も心のどこかで自分が有能な、優れた人間だと思っているのだろうし、それが良いか悪いかということでもないし、その評価みたいなことが、揺れ動き、様々な言葉、あるいは公的な場での言葉、ある時は私的に誰かから直接言われる言葉と結びつき、ある時は自らを攻撃するようなことになり、ある時は誰かの攻撃に向かい・・・。
これは、ナルシスティックな話ではないだろうか。病理であると判断される気もする。
繊細なものにあこがれるような感じは、私にはあまりなく、繊細になりたくはないのだが、しかしサリンジャーは面白く、無視はできない・・・近いうちに読み返そうとは思わないが、いつか読み返したいリストから外れることはないと思うのだが。
サリンジャーからカート・ヴォネガットに興味が移ったのは読むものが多かったこともあったが、感受性が鋭くスター性のある主人公から、かっこ悪い主人公、おかしなことばかりしている主人公以外の多くの人たちに、スポットライトを当てるほうが共感できるということがあったかもしれない。


いずれにしても、ある種の悲惨さの描写、不可避的に悲劇に向かうこと、ただし、ロマンチックに悲しみに酔うようなことでもない・・・。
でも、サリンジャーなんかは若い女性に好まれるようなところがあって、そういう読み方と自分は違うと言いたい感じもあるが、多くのサリンジャーを好きな女性に対して失礼この上ないのだろうな。
最近、坂口安吾を少し読んだ。思ったより面白かったものの、サリンジャーヴォネガットよりナルシスティックだろうか。坂口安吾をお好きな方に失礼かもしれない。ほんの数編を読んだだけ・・・。
ある種の生命力の圧殺のようなことの予感が、サリンジャーヴォネガットにはあったのだろうか。近代的なシステム化した社会のイメージと、実際の生活の中で、ほんとうならありえたはずのたとえば共感し合うことを実感する喜びのイメージが、何かを語る前に、何かをする前に、意識の表層で思考する前に、意識の深層ですでにコンフリクトを起こして精神的に力を失うようなこと。ヴォネガットよりもサリンジャーにあてはまるだろうか。というよりも見当違いの話かな。


シーモア・グラースは自殺し、サリンジャーは老衰を待つほどに長く生きた。
最近の研究では身体を良い状態に保つと120歳くらいまで生きられるらしいので、それに比べると短いが、私も多分90どころか、70まで生きられるかどうかわからないと思っている。若い頃も似たようなことを考えていたが、最近は体の感覚の衰えから、若い頃より正確な認識ではないかと思っている。ただ、これから蘇生していく部分があるかもしれないので、わからないが・・・。
なんてことが、重要だと思う人はあまりいないだろうなあ・・・。
ただ、サリンジャーの長い後半生、45年もの沈黙、「サリンジャーをつかまえて」に書かれていたかもしれないが、忘れたけれど・・・その穏やかかもしれない生活が、穏やかでありつつも何か絶望に彩られていたような気がするが、それに抗する心の仕組みも生まれていたのかもしれない、などと、あまり意味のないかもしれないことも思い浮かんだ。見当外れなのだろうが、そんなことは、私たちが生きる上で盾になるものなのかもしれないとは、思う。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

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フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

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ハプワース16,1924 (1977年)

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