精神医学について 1

突然だが、「精神医学の名著50」という分厚い本を読んでいる。
面白い。
心理学に興味があったのだけれど、はたしてそんなものに興味を持つこと自体が良かったのか、わからない。
わからなかった。が、そんな興味が、ようやく実を結んだ感じがする。というか、少しずつ飛び飛びに紡いでいて、つながるはずだけれどあやしかった知識の環を、やっとつなげられるというような手応えを感じている。


私は大学生の頃くらいまでに心理学関係の読書を一旦終えていた。
具体的な名前を出すと、筒井康隆の著作からフロイト(1856〜1939)、ユング(1875〜1961)を知ったんじゃなかったか。平行して常識的な話題から宮城音弥(1908〜2005)、河合隼雄(1928〜2007)くらいは、高校生の頃から知っていただろうか。その頃か、大学に入ってからか、それぞれ1冊くらすは持っているはずだ。
大学生の頃に気になっていたのがR・D・レイン(1927〜1989)と、なんと言っても木村敏(1931〜)だった。
レインの、「結ぼれ」という本を買って、ときどきは開いていたが、これは妙なものだった。「好き?好き?大好き?」という本もあった。このタイトル、なにか強迫的ですね。でも、こっちを買えば良かったような気もしている。
木村敏の、「時間と自己」は、私にとってちょっとした発見といえる感じの本だった。2年ちょっと前に読み返してミクシィの日記にも感想を書いている。あまり意味のある感想ではなさそうだ。その中で私の精神状態が恢復してきているように書いているが、すっとこどっこい、その後も七転八倒したはずだ。人にも迷惑をかけてきた。でも名著。もう少ししたらまた読んでみたい。あと、「あいだ」という本も持っている。最近少し読んで挫折。
あとは、大学の教育心理学(必修)の先生の話に出てきたからだったか、フランクル(1905〜1997)の本を持っている。途中までは読んだような・・・「死と愛」だったか。この人は、アウシュビッツの体験記も書いている。こちらは、「夜と霧」。ほかにも、「それでも人生にイエスと言う」という本を買っていた。


「時間と自己」を読み返した頃、私は精神的に正常ではない状態がピークだったと思える。そうだったから、心理学をもう一度見直そうとしていたのかもしれない。
心理学的な知識を得ようとネットをさまよったり、テレビでいくつかその手の話題にふれて、時代の変化にびっくりしていた。うつ病が流行っているし、そのうつ病というものは、以前に知っていた(と思っていた)ものと違った。北杜夫の本を読んだこともあってなんとなく躁鬱病について持っていたイメージと、かなりちがう。そうだ、うつ病なんていう言葉より、躁鬱病のほうがよく使われていた気がする。
古典的な3大精神病は、精神分裂病躁鬱病てんかんてんかんは私の高校時代にはすでに精神病だと思っていなかった。ほかに神経症というものがあった。フロイトの「精神分析入門」に、精神分裂病なんかが出てくることを期待していた(不謹慎)ら、錯誤行為と神経症のことがずっと書かれていた気がするが、記憶違いか。
いずれにしても、そんなものとはかなり印象の異なる「DSM-IV」とか、なんか即物的な感じがしたのだ。「ツレがうつになりまして」の著者のご夫婦が登場していたうつ関係の特集をしていた雑誌にも、SSRI系の投薬の話が出てきたり、テレビで見るのは過剰な投薬や、誤診の多さ、双極性障害うつ病と診断するなど・・・? 双極性? そううつ病(なんとなくいきなりひらかな)のことのようだけれど、うつ病は単極性気分症・・・???
そんななかで、木村敏さんの本などを読みかえすと、難しさに立ちつくしつつも、ほっとした。
なぜだったのか。
あとは、中井久夫(1934〜)さんという人の名前が、ある日ふと読んだ新聞の書評から印象に残っていた。1年半くらい前の日記でその事を書いているが、やっと、手にした。図書館で。「最終講義 分裂病私見」という本。書評に取り上げられていたのはたぶん、「日時計の影」という本だ。書店で「徴候・記憶・外傷」という本を見つけたときもしばらく迷った。そんなときの、私の餓えた感覚。なんだったのか。とにかく、やっと、借りてきて、読める。


中井さんの本を図書館で見つけたときに、ちかくにあった分厚い本が、「精神医学の名著50」。編者のひとり、斎藤環(1961〜)という名前には見覚えがある 。しかも、あちこちで。宮崎駿の、「千と千尋」かなんかに関するムック本の中でたしか記事を書いていたし、最近は「精神」という映画のパンフに文章を寄せていた。
さらに、目次には木村敏の名前も、中井久夫の名前も、名著の筆者としてある。中井さんは名著を紹介する執筆者でもある。紹介しているのがレインの「引き裂かれた自己」・・・中井さんの名著として取り上げられているのが「最終講義 分裂病私見」で、そのあたりを立ち読みして、併読してみようという気になって借りてきたのだった。


そっちを、「精神医学の名著50」のほうを読み始めてみたら思いのほか面白い。でもまだ52ページ。木村さんの本は出てきたけれど、中井さんの本はまだ。
しかし、そこまでにすでに環を閉じることが出来る手応えを感じている。いままで読みかじったなかにあった「ゲシュタルトクライス」「ダブルバインド」なんていうことばが、いままでより理解でき、そのことで、危なっかしい道具だった「ダブルバインド」なんてことばを、今度こそもう少しうまく使えるようになるか、使わなくてもいいと思えるようになる気がする。
あとは、そのような・・・昔から私が関心を持ってきたタイプの精神医学と、現在の精神科や心療内科の臨床の世界に拡がっているだろう世界との不連続な感じも、この50ページあまりのなかにすでにはっきりと意識されていて、しかも古典的な流れ(?)から名著群が始まっている。と、いう、気が私はしている。そして、しばらくすると「DSM-IV」も出てくる。
思えば、木村敏さんやまだ読んでいない中井久夫さんの本を読もうという動機は、人間とは何かを知りたいということであり、そこに、かつて精神分裂病と言われ、今は統合失調症と呼ばれている疾患群(としか書けない気もする)が無縁ではないのではないか、そんな手応えだ。だから、「DSM-IV」などには何か即物的なのではないかという、実はその内実をよく知らないうちに不信感を抱いてもいる。ただし、それが広まっていることに、故がないわけでもないだろうとは思っている。
そんなあたりの、腑に落ちない感覚に何らかの暫定的回答が得られそうであり、暫定的であるのは不可避だろうし、それとして、良質な答えを得られそうなことに、期待している。

精神医学の名著50

精神医学の名著50