精神医学について 2

「精神医学の名著50」を読み終えた。
面白かった。
いろいろと感慨深くもあり、いろいろと考えさせられることもあったが、かなりの部分は忘れた・・・とても残念だ。思い出すことがあったら、記録しておきたいが・・・。


様々な展開を見せてきた精神医学の歴史のなかでよく知られていて、思想などへの影響も大きかったのはジークムント・フロイト(1856〜1939)が創始した・・・といっていいのかどうかわからないが、精神分析だ。カール・グスタフユング(1875〜1961)がさらに独自の展開を加え、彼の考えも含め、それが社会に与えた影響は計り知れない。
心の仕組みをイメージするときに、広大な無意識野と、ほんの一部である意識野・・・という言葉遣いがいいのかどうかわからないが・・・を表す比喩が、意識は無意識を含めた巨大な精神という氷山の、ほんの一角の水面から上の見ることの出来る部分だ、なんてもので、私が読んだものはもっと上手く書かれていたとは思うのだけれど、そんな感じで・・・ふと今気付いたのだけれど、私もいつの間にかそれをあまり疑うことなく心を考える基本モデルとして、いろいろなことを考える前提にしてきていることに、今気付いた。


「名著」の中に、さすがにこのふたりの著書も入っている。
その後精神分析の様々な流れを代表するひとりとして、メラニー・クライン(1882〜1960)なんて人がいたらしかったり、でも、アンナ・フロイト(1895〜1982)と対立したらしいなんてことばかりが印象に残ったり・・・とはいえ、精神分析の流れは多様化し、実践にきたえられ、様々な臨床の課題や地域性のちがい、また精神医学の外の分野との相互の影響関係などもあって、かなり複雑で豊饒な世界をつくりだした、と、言えそうであっても、もはや臨床の現場からは、少なくとも日本では特に、顧みられなくなっているようでもある・・・。
私たちの・・・あくまで・・・少なくとも私のイメージでは、フロイトや彼の精神分析は、言葉というメスで心に分け入り、病巣をとりだす現代的な、科学的な冷たい印象があるが、無意識にかくされた心の傷(など)を意識化することで、自らの行動、思考の隠された、あるいは自分にすら見えないように、しかし自ら隠してしまった、なんらかの一貫性、合理性をとりもどし・・・その先はわからないけれど、そんなイメージがあるけれど、人それぞれの生育史は多様さを極め・・・それに対応する精神分析も柔軟さや、様々なとらえかたを・・・と、この先は、よくわからないのか、おぼえていないのか、どちらにしても筆力の及ぶところではない・・・。
このような世界と関係しては、日本では河合隼雄(1928〜2007)さんという人が特に知られていて、彼は文化庁の長官も務め、日本の公立学校で誰もが受け取ることになっている「心のノート」なるものは彼が中心になって作ったものらしいが(どんなものなのだろう)、彼の名は、この本の中には、ユングの著書の訳者として参考文献のなかに出てくるだけだ。彼は、心理学、精神分析の紹介者、特にユングの紹介者としては日本で比類のないはたらきをしたようだけれど、臨床とのかかわりでは箱庭療法の、これまた紹介者、として知られているという感じなのだろうか。精神医学の中の人という感じではないのかもしれない。
精神分析・・・学?・・・の世界のパブリックイメージは単純化され、一般ではある種のメタファーの源泉のようにつかわれ、その間に当の精神分析の継承者たちは実際の治療や、社会との関わりの中で、もっと違ったものになってきている・・・。


という精神分析の分野の果たした役割は大きく、一般からすると精神分析が精神医学の主流なのじゃないかと誤解してもやむを得ないくらいであるものの、精神医学の世界の大部分を占めるとは言えず、とはいえ無視できず(という言葉遣いはまどろっこしいものの)、50冊のうちの14冊が精神分析にあたえられた章の中に含められている・・・そして精神医学の他の分野をどう呼称すればいいのか、精神病理学という言葉はあるようだけれど、もしかしたら精神分析と病理学は共存しうるというか、違うカテゴリーのことなのか・・・何を書いているのかちょっとよくわからなくなってきた・・・この本の前書きにこの種の理解の混乱があることが書かれていて、それを留意して読んではきたものの・・・。
どうやら精神分析というものは、必ずしも精神医学の一分野ですらないようであり、しかしその成果は精神医学の世界でつかわれてきた? のか?


とはいえ、というか、ここまでの何か混乱した書き様が必要だったかどうかわからないが、精神医学全体の成果から、私たちが、くみ取れるものは、どうやら極めて豊かなもののようなのだ。なぜだろう・・・。


ふと、坂口安吾が自らの精神科への入院体験と、病的な人たちと接した体験から書かれたエッセイ(?)を思い出す。
本当におかしい人は彼ら病人とされているひとたちの中ではなく、そのあたりを普通に歩いている人々のなかにいる、というように書いていたこと。
これを書いてしまうことが、この内容の是非にかかわらず微妙な色彩を持ってしまうのだけれど、しかし、坂口安吾の言葉に迷いはなく、彼が病んでいたにしても、その言葉は逆に健やかな感じを与えたのであり、私の又書き(?)とは、違うのだ・・・。


私はこの「名著50」の次に、この50冊の中にも含まれている中井久夫(1934〜)氏の「最終講義 分裂病私見」を読んでいる。
そして、数行でひとつずつというように、どんどん目からうろこが落ちていく感じがしている。表題のとおり、今は統合失調症と呼ばれるようになった精神分裂病について書かれているのだが、なんだろうなあ、まずは・・・その分裂病が、治る病気だという感じしか、ない。この病の運命的かつ悲劇的なイメージとはかなりちがう。
また、その語られている対象の患者さんに関する記述は、普通のひとや、精神以外の疾患との連続性がふつうに感じられるものだ。
治療の過程に関して語られていることが、何か通常の人間関係に役立つような感じが、なにかしてしまう。この本を読んでいたら、いままでうまくいかなかった何かがうまくいく、あるいは人生の、陥らなくてよかった落とし穴から出られそうな感じ・・・。
いや、なんと大げさな書き方をしてしまったか。


などということ、その「最終講義」が、実は「名著50」に網羅的に紹介されている精神医学の歴史の成果をふまえて語られたことである、というのは、「名著50」のなかの多くや参考文献の数々が中井氏の手によって訳されている・・・一気に飛躍した書き方をとりあえずしてしまうと、人間ってまだまだ捨てたものじゃない、と、例えばNHKのかつての「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」や、今の「プロフェッショナル 仕事の流儀」なんかを見たときの感慨にも似た救いを感じるものの、それでめでたしというわけには行かず・・・。


「名著50」の、斎藤環(1961〜)氏によるあとがきから少し引用すると、この冊子は、
精神分析が浅薄な誤解から軽蔑され、精神病理学はすでに凋落の一途を辿りつつある現在、本書は単なる文献紹介を超えて、最高の執筆陣による理想的な精神医学の啓蒙書という意味を帯びるでしょう。」
という自画自賛にも似た認識すら、控えめではないかという気がするくらい、ちょっと記念碑的な一冊で、こんなものを生みうる土壌が日本の医学界にあり、それは、精神医学であるが、むしろその故に、とまで書くと語弊もあるものの、医学のそとの人たちの思考の源泉になるものはたくさんある、そんなことも含めて誇らしいことでもある、が・・・。
ただし、逆にある意味ではこういう成果を活かしうる知的風土があるかどうかという疑問が頭をよぎり、しかもそれは一般的な話だけではなく、日本の精神医療の現場で、という懐疑もあるのであり・・・。


全く関係がないような、医学的なことなのだけれど、2歳の姪っ子が今発熱などで入院してしまったのだけれど、最初は風邪だということで抗生物質を投与されていたらしく、結局良くならず、入院した結果RSウィルスによるものだということで、風邪と言ってもいいかもしれないのだけれど、抗生物質はどちらかというと、体力を奪うだけだったと、考えられそうで・・・。
これも含め風邪と呼ばれる場合はウィルスが関係していることが多いらしく、主にライノウィルスというものだとか、まあ、医学的な定義はないらしいので、なんとも言えないことばかりだが、解熱剤はともかく、主な風邪のウィルスには効果がないはずの抗生物質の投与がふつうに行われている、という記述がインターネットにあり、姪っ子のかかっている地域の中核病院も、そんなことをやったということになるくらい、普通なのか、という話を母としていたら、母の知人の娘さんが、「ずっと抗生物質を飲んでいるけれど、全然良くならない」そうで、それは単に抗生物質のせいで具合が悪いのではないか、と、勘ぐったりしたが、これはインターネットの言説に安易に乗ってしまっただけなのだろうか。


という次に、やはり心療内科などでのSSRIなんかの投与にちょっと疑問を抱いてしまうことが、また、身内に関係してしまっていて、そんな医学というか、医療の世界というものは、ふざけているのか、「キャピタリズム」のような悪意を自覚しない悪人たちの世界なのか、あるいは、馬鹿どもの巣なのか、とか、実際私が考えていることが単なる素人考えで失礼にあたるのだったら誠に申し訳ないが、しかし、危惧は頭から離れない。


自分の身を、どう守ろうか。
不安になるものの・・・。
私たちの味方も、世の中にいないわけではないというのも、確かなことのようなのだ。

精神医学の名著50

精神医学の名著50

最終講義―分裂病私見

最終講義―分裂病私見