現代芸術について 1

というタイトルで、いいのかな。


とにかく私はゲージュツの道にいちおう進んで、今もそんな道のどっかを歩いているとしよう。なんかそのへんのことは、何も言い切れはしないのであった。とりあえずはその道は多様な行き方を許容するものとして、だ。しかしそんなことを書いている私が案外違うタイプを許容しない感性を持っている気がしてきたが、とりあえずそれは忘れておこう。


で、現代芸術というようなものごとについて考えたいと思うのだが、いまさらという気もするし、逆にずっとそんなことばかり考えて、こんなネットにも書いてきた気もする。しつこく。
現代芸術なんて書いてみたけれど、つまりは現代美術と現代音楽のことで、ほかの芸術のことはほぼ知らないに等しいし、ほかに現代を頭に付けた現代舞踊なんてものもあるのかもしれないし、現代美術や現代音楽との関係を無視できないのかもしれないが、現代舞踊はともかく現代演劇、現代文学という言葉があったとしても何か前衛性が問題になる要素が希薄な気がするし、いわゆる現代音楽というような事とはちょっとその現代が頭につくニュアンスが違いそうだ。とすると、まず前衛芸術について、特に前衛美術と前衛音楽について、なんて書き始めた方が正確じゃないかという事になりそうだけれどもちろんそんなことではないのは、前衛美術とか前衛音楽とかいう言いまわしはしないと言っていいし、したとしても、現代美術と現代音楽というようなことばよりさらに限定された場面でしか使われないという感じも強い。
前衛性か・・・何もかもが懐かしい・・・というのは単なる宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長のセリフを急に使っておちゃらけたというだけでなく、実感でもある。あの頃僕らは若かった・・・なんていっても、今や私にとって僕「ら」に含めることの出来る人は周囲にいないのだけれど、今周囲にいなくてもかつて若かった、そしてもう若いとは言えない人たちが私の周囲にも、そしてあちこちにいただろうし、そして、今は私のように過去を振り返ったりしないのかもしれず、懐かしいとは思わないだろうし、ゲージュツに関わっているともそんなに思えず、しかし、どこかで何かやっているのだろう。
懐かしいなんて書いたけれど、かつてのみんな(?)が何かそんなことなんかを克服したような顔をしていて懐かしいとも思わないだろうことを想像しつつ、だから私ばかりは懐かしいのであって、私はそんなことを克服する気も卒業する気も全くなく、とは言っても前衛を志向していたというほどでもなかったのだけれど、表現の現代性なんて言葉自体使っていいものかどうか自信のないままそんなことをぐじぐじ心のどこかで引きずってきた、の、だった。私は、というようなことを思いつつ、現代芸術なんてことを懐かしんでいる。
とは書いてみたけれど、本当かどうか自信がなくなってきたが、とにかく現代美術と現代音楽と、そんな感じの芸術を、現代芸術ということにしたのであって、そんなことを考えたいのだった。


で、現代音楽とか現代美術というと、まずは難解だってことだよな、という話を書きたかったのかどうかも、そもそもなぜこんな事を書こうと、昼か夕方に思ったのかも、忘れてしまっている。
とりあえずピカソエジソンのように偉い人だということになるのかどうか。そんなの常識、という話題の持ち出し方はどうかなあ。ではストラヴィンスキー・・・クラシックファン以外誰も知らないか。のだめカンタービレに出てこなかったかな。バルトークのピアノコンチェルトは出てきていたと思ったけれど、それは置いておいて、ピカソは本当は(!)絵が上手いとか、たとえばポロック、あんなものがン億円だとは信じがたいとか、ゴッホって頭がおかしかったんだよねとか、生きているうちは評価されないもんだとか、ふと美術の話ばっかりじゃないか、のだめ以外は。ゴッホは現代ではなかったかな、そうかな、そうとらえていいのか?


私自身は、高校生の時から画家の好みは決まっていて、セザンヌマチス、クレー以上に私を惹きつける画家はなかなか出てこない。なんていうか、これは、モダニズムだな、と、今ふと思ったりした。幾何学的抽象がモダンの極致かというと、それはそうでもあるし、マレーヴィッチ、モンドリアン・・・ポロック、ロスコ・・・どうかなあ・・・。デュシャンを、とりあえず名前だけでも出してみておこうとか。
なんてことが、音楽のモダニズムに先行していたなんて話を読んだような、てことはドビュッシー、あとはシェーンベルク、うーん・・・ケージ・・・。


なんて、いちおうは私が高校3年くらいに自分で美術をやろうと思っていたときには、現代音楽のほうはともかく、知っていた。セザンヌマチス、クレーは、高校1年の最初の時点でもうはっきり確認しつつあった。中学生の段階で、もしかしたらルネサンス絵画よりも印象派に好感を持って、セザンヌゴッホの存在を意識していたかもしれない。
という自分って、何なんだ、と、ふと思った。あれ、そんな話を書こうとしていたわけではないな。
しかしとっ散らかった話だ・・・でもまたまたそんなことをしてみるしかないと思っている。


あ、現代建築というものが・・・。

私の現代芸術 (1963年)

私の現代芸術 (1963年)

現代芸術論

現代芸術論

現代芸術の彼岸 (MAUライブラリー)

現代芸術の彼岸 (MAUライブラリー)